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『教行信証』精読2(その184) ブログトップ

本文6 [『教行信証』精読2(その184)]

(15)本文6

 三人目の「よきひと」は曇鸞です。

 本師曇鸞は、梁の天子、常に鸞のところにむかふて菩薩と礼(らい)したてまつる。三蔵流支1(さんぞうるし)、浄教をさづけしかば、仙経2を梵焼して楽邦に帰したまひき。天親菩薩の論、註解(ちゅうげ)して、報土の因果、誓願にあらはす。(本師曇鸞梁天子、常向鸞処菩薩礼、三蔵流支授浄教、梵焼仙経帰楽邦、天親菩薩論註解、報土因果顕誓願)
 注1 菩提流支三蔵。三蔵とは経・律・論のことで、それに精通している人も指す。
 注2 道教の経典。

 (現代語訳) さて本師曇鸞ですが、南朝の梁の武帝はいつも曇鸞の方に向かい菩薩の礼をとられていました。そして菩提流支から観無量寿経を授けられて、折角手に入れた道教の経典を焼き捨て、浄土の教えに帰されました。また天親菩薩の浄土論を注釈して、浄土の因も果もみな誓願によることを明らかにしてくださいました。

 ここでは曇鸞についての三つの事績が述べられています。一つは南朝の天子からも尊崇されるほど、多くの人たちから慕われていたこと、二つは長寿を願ってわざわざ江南を訪ね、道教の経典を手に入れたのに、インドからやってきた菩提流支に観無量寿経を教えられ、たちまち浄土の教えに帰したこと、そして三つ目は浄土論を注釈して浄土論註をあらわし、浄土が建立された因は誓願によること、またその果としての浄土そのものも誓願に他ならないことを明らかにしたということです。
 第一と第二も興味深く、引きつけられますが、しかしまあ所詮エピソードにすぎないのに対して、第三が親鸞にとっても、そしてわれらにとっても本質的なことと言わなければなりません。浄土論といい、浄土論註といい、「浄土とは何か」を明らかにしようとするものですが、曇鸞にとって浄土論に描かれた浄土のありよう(荘厳)が真に意味することを読み取ることが大事な課題でした。龍樹に学んだ曇鸞には、浄土を「こことは別のどこか」と理解することは到底できるものではありませんが、ではいったい浄土とは何か。親鸞はそれを短く「報土の因果、誓願にあらはす」と述べています。

タグ:親鸞を読む
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