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如是我聞 [『阿弥陀経』精読(その5)]

(5)如是我聞

 「我聞」が「聞」で、「一時」が「時」、そして「仏」が「主」というのは説明が要りませんが、「如是」が「信」とはどういうことでしょう。
 「かくのごとく、われ聞きたてまつりき」とは、阿難が「わたしはこのようにお聞きしました」と述べていることばです。釈迦亡きあと、その教えが散逸することをおそれ、摩訶迦葉のよびかけで第一回の仏典結集が行われましたが、優波離(うばり)が中心となって律を、阿難が中心となって経をまとめたとされます。そのとき阿難は「如是我聞」と語りはじめたことから、経典はみなこのことばではじまるわけです。さて「如是」ですが、これは釈迦が語られたことばをこのように聞かせていただき胸に沁みわたりました、と言っており、聞いたことに対してこちらから是とか非とか判断を加えるのではないということです。耳に届いたことばに自然に頷かれるということ、これが如是の本質であり、仏教において信とはそういうものです。信とは「こちらからゲットする」のではなく、「むこうからゲットされる」のです。
 「一時(ひと時)」についてひと言。これが「時」であるといっても、「いつ」であるかはまったく明らかではありません。そもそもインド人にとっては、ある出来事が何年の何月何日のことであるかはさして意味を持たないことのようです。そこが時間に関心の深い中国人と大きく異なるところで、インドにはめぼしい歴史書がないのに対して中国は『史記』をはじめとする歴史の国です。インド人にとって出来事はまさに「ある時」縁が熟して起るのであって、それが「いつ」であるかは本質的なことではないということです。この何ごとも縁が熟して起るということが、仏教における縁起の思想であることは言うまでもありません。縁起は現実の時間を超越しています。
 さて残るのは「処」と「衆」で、「処」は「舎衛国の祇樹給孤独園」、「衆」は「大比丘の衆、千二百五十人」です。祇樹給孤独園というのは、祇陀(ぎだ)という名のコーサラ国の太子が所有していた樹林を給孤独長者(孤児や老人などに施しをする長者ということです)が譲り受け、そこに精舎をつくって釈迦に寄進した場所で、その会座に十大弟子の舎利弗(智慧第一)、目犍連(神通第一)、摩訶迦葉(頭陀第一)、阿難陀(多聞第一)など多くの阿羅漢と菩薩たちが連なっていたというのです。

タグ:親鸞を読む
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