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『阿弥陀経』精読(その10) ブログトップ

本文1 [『阿弥陀経』精読(その10)]

             第2回 極楽の荘厳

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 これから極楽の荘厳(すばらしいありよう)が讃歎されていきます。

 また舎利弗、極楽国土には七重の欄楯(らんじゅん、玉垣)・七重の羅網(らもう、珠をつらねた飾り網)・七重の行樹(ごうじゅ、並木)あり。みなこれ四宝(金・銀・瑠璃・玻璃)周帀(しゅうそう、周りをめぐらせる)し囲繞(いにょう)せり。このゆゑにかの国を名づけて極楽といふ。また舎利弗、極楽国土には七宝の池あり。八功徳水そのなかに充満せり。池の底にはもつぱら金(こがね)の沙(いさご)をもつて地に布(し)けり。四辺の階道(階段)は、金・銀・瑠璃・玻璃合成(ごうじょう)せり。上に楼閣(高殿)あり。また金・銀・瑠璃・玻璃・硨磲(しゃこ)・赤珠(しゃくしゅ)・瑪瑙(めのう)をもつて、これを厳飾(ごんじき)す。池のなかの蓮華は、大きさ車輪のごとし。青色には青光、黄色(おうしき)には黄光、赤色(しゃくしき)には赤光、白色(びゃくしき)には白光ありて、微妙香潔なり。舎利弗、極楽国土には、かくのごときの功徳荘厳を成就せり。

 極楽国土の素晴らしさを讃嘆するのに二つあり、その国土そのもの(依報と言います)の荘厳を讃えることと、そこに住む仏・菩薩(正報と言います)を讃えることがあります。で、まず依報の荘厳ですが、浄土三部経を読む時もっとも退屈するのがこの部分です。やたら四宝やら七宝やらが出てきて、それらが欄楯やら羅網やら行樹、あるいは池や楼閣を荘厳しているさまが描かれるのですが、「このゆゑにかの国を名づけて極楽といふ」と言われても一向にピンときません。どうもインド人とわれらではその感覚がよほど違うのではないかと思わせられます。
 ともあれここで釈迦が説こうとしているのは、極楽国土はこの娑婆世界とはおよそ異なる別世界であるということでしょう。娑婆世界をどれほど隈なく探し回っても、どこにも極楽は見つからない、それはこことは遠く隔たったところ、「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて」あるのだと。問題の本質は、真実はどこにあるのかということでしょう。真実は「ここ」にあるのか、それとも「ここ」とは遠く隔たったどこか別のところにあるのか、これが問題です。

タグ:親鸞を読む
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