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日想観 [『観無量寿経』精読(その19)]

(7)日想観

 以上が序分で、これから正宗分がはじまります。釈迦が「アミタのいのち」を「観る」方法を十六に分けて順々に語っていきます。

 仏、韋提希に告げたまはく、「なんぢおよび衆生、まさに心をもつぱらにし念(おもい)を一処に繫(か)けて、西方を想ふべし。いかんが想をなす。おほよそ想をなすといふは、一切衆生、生盲(しょうもう、生まれつきの盲目)にあらざるよりは、有目の徒(ともがら)、みな日没(にちもつ)を見よ。まさに想念を起し、正座(しょうざ)し西向し、あきらかに日を観じ、心をして堅住(集中して動揺しない)ならしめ、専想して移らざれば、日の没せんと欲して、状(かたち)、鼓(つづみ)を懸けたるがごとくなるを見るべし。すでに日を見ること已(おわ)らば、閉目開目に、みな明了(みょうりょう)ならしめよ。これを日想とし、名づけて初めの観といふ。

 西方に向かい「日の没せんと欲して、状、鼓を懸けたるがごとくなる」様子を心に思い浮かべよと言います。実際に空を真っ赤に染めて西日が山の端にかかるところを目にしますと、「ああ、西方極楽浄土というのは、あの山の向こうに神々しく広がっているのだろうか」と思わせられます。そして日没という時間もまた、太陽が昼の活動を終えて山の向こうに沈むように、ひとつのいのちがその活動を終えて故郷に還っていくように感じさせることもあるでしょう。これが「アミタのいのち」を「観る」方法の一番目に来るのはもっとも至極だと感じます。
 個々の「ミタのいのち(わたしのいのち)」はある時「アミタのいのち(ほとけのいのち)」から生まれ、一定の時間「ミタのいのち」として生き、そしてまた「アミタのいのち」へと還っていきますが、それは太陽が朝、東の山から姿をあらわし、夕刻になると西の山に沈んでいくイメージとぴったり重なります。そこから、日没を観ると「いのちの故郷」を感じて、何となく心がしっとり落ち着くことになるのでしょう。ただこれはあくまで「譬へ」であることを忘れることはできません。「ミタのいのち」が「アミタのいのち」を「観る」ことはできず、ただ「譬へ」として語るしかできないのです。

タグ:親鸞を読む
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