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樹想観 [『観無量寿経』精読(その27)]

            第3回 空中に住立したまふ

(1)樹想観

 次は第四観、樹想観です。

 仏、阿難および韋提希に告げたまはく、「地想成(じょう)じをはりなば、次に宝樹を観ぜよ。宝樹を観ずるとは、一々にこれを観じて七重の行樹(ごうじゅ、並木)の想をなせ。一々の樹の高さ八千由旬(ゆじゅん、長さの単位)なり。そのもろもろの宝樹、七宝の華葉具足せざることなし。一々の華葉、異なれる宝色をなす。瑠璃色のなかより金色の光を出し、玻璃色のなかより紅色(ぐしき)の光を出し、瑪瑙色のなかより硨磲(しゃこ)の光を出し、硨磲色のなかより緑真珠の光を出す。珊瑚・琥珀、一切の衆宝をもつて映飾(ようじき)とす。妙真珠網は、樹上に弥覆(みふ、あまねく覆う)せり。一々の樹上に七重の網あり。一々の網のあひだに五百億の妙華の宮殿あり。梵王宮(ぼんのうぐ、梵天の住む宮殿)のごとし。諸天の童子、自然になかにあり。一々の童子、五百億の釈迦毘楞伽摩尼宝(しゃかびりょうがまにほう、如意宝珠のこと)をもつて瓔珞(ようらく、飾り)とす。その摩尼の光、百由旬を照らす。なほ百億の日月を和合せるがごとし。つぶさに名づくべからず。衆宝間錯(けんさく、入り混じる)して、色のなかに上(すぐ)れたるものなり。このもろもろの宝樹、行々(ごうごう)あひ当り、葉々あひ次(ちか)し。もろもろの葉のあひだにおいて、もろもろの妙華を生ず。華の上に自然に七宝の果(このみ)あり。一々の樹葉、縦広正等(じゅうこうしょうとう、長さ広さが等しい)にして二十五由旬なり。その葉、千色にして百種の画(え)あり。天の瓔珞のごとし。もろもろの妙華あり。閻浮檀金色(えんぶだんごんじき)をなし、旋火輪(せんかりん、回る火の輪)のごとく葉のあひだに婉転(えんでん、美しくしなやかに廻る)す。もろもろの果を湧生(ゆしょう)すること、帝釈の瓶(かめ)のごとし。大光明あり、化して幢幡(どうばん、はたぼこ)・無量の宝蓋(ほうがい、宝の天蓋)となる。この宝蓋のなかに三千大千世界の一切の仏事を映現(ようげん)す。十方の仏国もまたなかにおいて現ず。この樹を見をはりて、またまさに次第に一々これを観ずべし。樹茎(じゅきょう)・枝葉・華果を観見して、みな分明ならしめよ。これを樹想とし、第四の観と名づく。

タグ:親鸞を読む
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