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『観無量寿経』精読(その28) ブログトップ

第五観、第六観 [『観無量寿経』精読(その28)]

(2)第五観、第六観

 つづけて第五観と第六観を一気に読みましょう。

 次にまさに水を想ふべし。水を想ふとは、極楽国土に八つの池水(ちすい)あり。一々の池水は七宝の所成(しょじょう)なり。その宝柔軟なり。如意珠宝(如意宝珠とも摩尼宝珠ともいう)より生じ、分かれて十四支となる。一々の支、七宝(しっぽう)の色をなす。黄金を渠(みぞ)とし、渠の下にみな雑色の金剛(ダイヤモンド)をもつて、もつて底の沙(いさご)とす。一々の水のなかに六十億の七宝の蓮華あり。一々の蓮華、団円正等(まるくて大きさが等しい)にして十二由旬なり。その摩尼水、華のあひだに流れ注ぎ、樹を尋(めぐ)りて上下す。その声微妙にして、苦・空・無常・無我・諸波羅蜜を演説す。また諸仏の相好を讃嘆するものあり。如意珠王より金色微妙の光明を涌出(ゆすい)す。その光、化して百宝色の鳥となる。和鳴哀雅(わみょうあいげ)にして、つねに仏を念じ、法を念じ、僧を念ずることを讃(たた)ふ。これを八功徳水想とし、第五の観と名づく。
 衆宝国土の一々の界上(境界)に五百億の宝楼閣(ほうろうかく)あり。その楼閣のうちに、無量の諸天ありて天の伎楽をなす。また楽器ありて虚空に懸処(けんしょ)し、天の宝幢(ほうどう、兜率天の宝幢大神の楽器)のごとく、鼓(う)たざるにおのづから鳴る。この衆音のなかに、みな仏を念じ、法を念じ、比丘僧を念ずることを説く。この想成じをはるを、名づけてほぼ極楽世界の宝樹・宝地・宝池を見るとす。これを総観想(浄土のすべてを見る観想)とし、第六の観と名づく。もしこれを見るものは、無量億劫の極重の悪業を除き、命終の後にかならずかの国に生ず。この観をなすをば、名づけて正観とす。もし他観するをば、名づけて邪観とす」と。

 宝樹と宝池水と宝楼閣を想えというこの件を読みますと、色とりどりの樹々が生い茂る間を池水が廻り、処々にさまざまな宝で飾られた楼閣が建てられている光景が浮んできて、『観無量寿経』という経典がつくられたのは、西域のオアシス都市に違いないという思いが強くしてきます。

タグ:親鸞を読む
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