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『観無量寿経』精読(その34) ブログトップ

華座観 [『観無量寿経』精読(その34)]

(8)華座観

 では第七の華座観です。

 仏、韋提希に告げたまはく、「かの仏を観たてまつらんと欲(おも)はんものは、まさに想念を起すべし。七宝の地上(じじょう)において蓮華の想をなせ。その蓮華の一々の葉(はなびら)をして百宝の色をなさしめよ。八万四千の脈(すじ)あり、なほ天の画(え)のごとし。脈に八万四千の光あり、了々分明に、みな見ることを得しめよ。華葉(はなびら)の小さきは、縦広二百五十由旬(ゆじゅん)なり。かくのごときの蓮華に八万四千の葉あり。一々の葉のあひだにおのおの百億の摩尼珠王(まにしゅおう、如意珠王と同じ)ありて、もって映飾(ようじき)とす。一々の摩尼、千の光明を放つ。その光蓋(天蓋)のごとく七宝合成(ごうじょう)せり。あまねく地上を覆へり。釈迦毘楞伽宝(しゃかびりょうがほう)をもつてその台(うてな)とす。この蓮華の台は、八万の金剛・甄叔伽宝(けんしゅくかほう、甄叔伽という木の花の色に似た赤色の宝石)・梵摩尼宝(梵はきよらかなの意)・妙真珠網をもつて交飾(きょうじき)とす。その台の上において自然にして四柱の宝幢(ほうどう、宝のはたぼこ)あり。一々の宝幢は百千万億の須弥山のごとし。幢上の宝幔(ほうまん、宝の幔幕)は、夜摩天宮(やまてんぐ)のごとし。また五百億の微妙の宝珠ありて、もつて映飾(ようじき)とす。一々の宝珠に八万四千の光あり。一々の光、八万四千の異種の金色をなす。一々の金色、その宝土に遍し、処々に変化して、おのおの異相をなす。あるいは金剛の台となり、あるいは真珠網となり、あるいは雑華雲(いろいろの花で飾られた雲)となる。十方面において、意に随ひて変現して仏事を施作す。これを華座の想とす、第七の観と名づく」と。仏、阿難に告げたまはく、「かくのごときの妙華は、これもと法蔵比丘の願力の所成(しょじょう)なり。もしかの仏を念ぜんと欲はんものは、まさにまづこの華座の想をなすべし。この想をなさん時、雑観することを得ざれ。みな一々にこれを観ずべし。一々の葉・一々の珠・一々の光・一々の台・一々の幢(はたぼこ)、みな分明ならしめて、鏡のなかにおいてみづから面像を見るがごとくせよ。この想成ずるものは、五万劫の生死の罪を滅除し、必定してまさに極楽世界に生ずべし。この観をなすをば、名づけて正観とす。もし他観するをば、名づけて邪観とす」と。

タグ:親鸞を読む
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