(4)偈文2


いよいよ七高僧の一人目、龍樹を讃える偈です。



釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺 


龍樹大士出於世 悉能摧破有無見 


宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽


釈迦如来、楞伽山(りょうがせん)にして、衆のために告命(ごうみょう)したまはく、「南天竺に、


龍樹大士世に出でて、ことごとくよく有無の見を摧破(さいは)せん。


大乗無上の法を宣説(せんぜつ)し、歓喜地(かんぎじ)を証して安楽に生ぜん」と。


釈迦如来が楞伽山(釈迦が『楞伽経』を説いたところ)において人々に向かってこう言われました、「これより後、南インドに


龍樹大士が世に出て、存在するものは常住不変であるとする有見と、断滅空無であるとする無見の双方を悉く打ち砕くであろう。


また大乗のこのうえない真実の教えである本願念仏を説き、不退転の境地を得て歓喜し、安楽浄土に往生するであろう」と。



前に述べましたように、親鸞は曇鸞の影響を受け(曇鸞は『讃阿弥陀仏偈』で、龍樹のことを「歓喜地を悟りて、阿弥陀に帰して安楽に生ぜり」と詠っています)、浄土教の七高僧の一番手として龍樹をもってきます。龍樹が何者であるかはいまさら言うまでもないでしょう、釈迦の生まれ変わりとも言われ、大乗仏教の基を築いた人とも言われ、日本では八宗の祖とされます(八宗とは、南都六宗すなわち三論・成実・法相・倶舎・華厳・律の各宗に、平安の天台・真言を加えた八宗がみな龍樹を祖と仰いでいます)。とりわけ『中論』を著し「無自性空」を説いて中観派とよばれる流れ(これが中国の三論宗・四論宗となります)をつくった人として知られています。


この「無自性空」の思想がここでは「有無の見を摧破せん」と表現されているのですが、その一方で浄土の教えの祖とされ、ここでは「歓喜地を証して安楽に生ぜん」と言われます。さてこの二つは一見したところまったく接点がありそうに見えませんが、一体どのようにつながるのでしょう。