第9回 一生悪を造れども


(1)  偈文1


次は道綽讃です。まずは前半4句から。



道綽決聖道難証 唯明浄土可通入


万善自力貶勤修 円満徳号勧専称


道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。


万善の自力、勤修(ごんしゅ)を貶す。円満の徳号、専称を勧む。


道綽禅師は『安楽集』を著し、この濁った時代に聖道門で悟りを得ることは難しく、ただ浄土門だけがわれらの入るべき道であることを明らかにしてくれました。


自らの力によりどれほど善根を積もうともむなしいと説き、功徳が円かに満たされている名号を専ら称えることを勧めてくださったのです。



はじめに道綽の人となりを見ておきましょう。彼は南北朝時代に北周の太原(たいげん)に生まれました(562-645)。聖徳太子と同じ時代の人です。当時の中国は戦乱に次ぐ戦乱の過酷な時代で、しかも廃仏という災難もありました。道綽は14歳で出家しますが、その廃仏の混乱の中を生きなければなりませんでした。もとは涅槃宗(『涅槃経』による宗派ですが、のちに衰微します)の人ですが、48歳のときに玄中寺で曇鸞を讃える碑文に出あい、それを機に浄土の教えに帰したという有名なエピソードが伝えられています。


このような時代背景から末法思想が広がりをみせていました。釈尊入滅後の500年は教・行・証がそろう正法の時代で、それに次ぐ1000年は教・行はあってももはや証は望めない像法の時代となり、そしてそれ以後は教だけはあるが、行も証もない末法の時代に入るという思想で、道綽の時代はもはや末法の世となったと考えられていました。そのような歴史意識から彼は主著『安楽集』において、「当今は末法にして、現にこれ五濁悪世なり」と述べています。


この末法思想を背景として彼は仏教を「聖道門」と「浄土門」に区別し、いまや聖道門の時代ではなく浄土門の時代であると宣言します。第一・二句で「道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす」と言われているのがそれで、『安楽集』には先の「当今は末法にして云々」のあと、「唯、浄土の一門のみありて、通入すべき路なり」と述べられています。この末法の世においては、もはや自力の修行によってこの世で悟りを開こうとする聖道門は通用せず、阿弥陀仏の本願他力により浄土に往生する道だけがわれらの前に開けているということです。