(5)第6回、本文3
これから菩薩の行の特徴が四つ説かれていきます。まずはその一。
〈なにものをか四つとする。一つには、一仏土において身、動揺せずして十方に遍す、種々に応化して実のごとく修行してつねに仏事をなす(衆生を教化する)。偈に《安楽国は清浄にして、つねに無垢輪(煩悩の汚れのない仏の教法を車輪にたとえる)を転ず、化仏・菩薩は、日の須弥(須弥山)に住持するがごとし(須弥山にたもたれているようである)》といへるがゆゑに。もろもろの衆生の淤泥華(泥の中に咲く蓮の華)を開くがゆゑに〉(浄土論)とのたまへり。八地以上の菩薩は、つねに三昧にありて、三昧力をもつて身本処(もとのところ)を動ぜずして、よくあまねく十方に至りて、諸仏を供養し、衆生を教化す。無垢輪は仏地(仏の境界)の功徳なり。仏地の功徳は習気(煩悩のなごり)・煩悩の垢ましまさず。仏、もろもろの菩薩のためにつねにこの法輪を転ず。もろもろの大菩薩、またよくこの法輪をもつて、一切を開導して暫時も休息なけん。ゆゑに常転といふ。法身は日のごとくして、応化身の光もろもろの世界に遍するなり。日といはばいまだもつて不動を明かすに足らざれば(日と言うだけでは不動ということをあらわすのに十分ではないから)、また如須弥住持(須弥に住持するが如し)といふなり。淤泥華とは『経』(維摩経)にのたまはく、〈高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿の淤泥にいまし蓮華を生ず〉と。これは凡夫、煩悩の泥のなかにありて、菩薩のために開導せられて、よく仏の正覚の華を生ずるに喩ふ。まことにそれ三宝を紹隆して、つねに絶えざらしむと。
菩薩の還相のはたらきの特徴の第一として「身本処を動ぜずして、よくあまねく十方に至りて、諸仏を供養し、衆生を教化す」ることが上げられます。第二十二願に、還相の菩薩は「衆生のためのゆゑに、弘誓の鎧を被(き)て、徳本を積累(しゃくるい)し、一切を度脱せしめ、諸仏の国に遊びて、菩薩の行を修し、十方の諸仏如来を供養し、恒沙無量の衆生を開化して無上正真の道を立せしめん」とありましたが、そのような自在無碍なはたらきを身は浄土にありながらしてしまうというのです。