更新が遅れました。
『シズコさん』の最後のところを少し抜き出してみましょう。呆けてしまった母が入っている老人ホームを訪ねたときのことです。
そして思ってもいない言葉が出て来た。
「ごめんね、母さん、ごめんね」
号泣と云ってもよかった。
「私悪い子だったね、ごめんね」
母さんは、正気に戻ったのだろうか。
「私の方こそごめんなさい。あんたが悪いんじゃないのよ」
…
私はほとんど五十年以上の年月、私を苦しめていた自責の念から解放された。
私は生きていてよかったと思った。本当に生きていてよかった。こんな日が来ると思っていな
かった。母さんが呆けなかったら、昔のまんまの「そんな事ありません」母さんだったら、私は 素直になれただろうか。
佐野洋子はこれを言うために、それまでのドロドロを書かなければならなかったのです。「ごめんね、母さん、ごめんね」のひと言が母と娘の双方を救った。
思い出したことがあります。高校教師時代のことです。
『シズコさん』の最後のところを少し抜き出してみましょう。呆けてしまった母が入っている老人ホームを訪ねたときのことです。
そして思ってもいない言葉が出て来た。
「ごめんね、母さん、ごめんね」
号泣と云ってもよかった。
「私悪い子だったね、ごめんね」
母さんは、正気に戻ったのだろうか。
「私の方こそごめんなさい。あんたが悪いんじゃないのよ」
…
私はほとんど五十年以上の年月、私を苦しめていた自責の念から解放された。
私は生きていてよかったと思った。本当に生きていてよかった。こんな日が来ると思っていな
かった。母さんが呆けなかったら、昔のまんまの「そんな事ありません」母さんだったら、私は 素直になれただろうか。
佐野洋子はこれを言うために、それまでのドロドロを書かなければならなかったのです。「ごめんね、母さん、ごめんね」のひと言が母と娘の双方を救った。
思い出したことがあります。高校教師時代のことです。