(8)性信房宛ての手紙
この手紙は性信房に宛てて書かれています。性信房については、第2章の2、3(通し番号の23,24)で述べましたように、東国の念仏者たちの中心にあった人です。はっきり性信房に宛てられた手紙として残っていますのは次の5通です。
1. 『末燈鈔』第3通 正嘉元年(1257年)10月10日 親鸞85歳
2. 『親鸞聖人御消息集』第7通 7月9日
3. 『親鸞聖人御消息集』第13通 (日付けなし)
4. 『親鸞聖人血脈文集』第2通 5月29日
5. 『親鸞聖人血脈文集』第4通 9月7日
1の手紙は、すでに読みましたように(第3章)、純粋に教え(現生正定聚)についての内容ですが、あとの4通は「鎌倉にての御うたへ」に関すること(2,3,5)、善鸞義絶に関すること(4)で、互いに深くつながっています。おそらく4通とも同年に出されたものと思われます。軸になるのが4の手紙で、親鸞はここで善鸞を義絶したことを性信房に報告しています。そして善鸞本人に宛てて義絶を通告する手紙が残っていまして(『真蹟・古写消息』6)、その日付けが建長8年5月29日となっています。4の手紙も同日に性信房に宛てて書かれたと思われますから、2~5の手紙はすべて建長8年(1256年、親鸞84歳)だと考えていいでしょう。書かれた順に並べ替えますと、次のようになります。
1. 『親鸞聖人血脈文集』第2通 建長8年(1256年)5月29日
2. 『親鸞聖人御消息集』第7通 建長8年7月9日
3. 『親鸞聖人御消息集』第13通 (日付けなし)
4. 『親鸞聖人血脈文集』第4通 建長8年9月7日
5. 『末燈鈔』第3通 正嘉元年(1257年)10月10日
(3と4の順は不明)
この手紙は性信房に宛てて書かれています。性信房については、第2章の2、3(通し番号の23,24)で述べましたように、東国の念仏者たちの中心にあった人です。はっきり性信房に宛てられた手紙として残っていますのは次の5通です。
1. 『末燈鈔』第3通 正嘉元年(1257年)10月10日 親鸞85歳
2. 『親鸞聖人御消息集』第7通 7月9日
3. 『親鸞聖人御消息集』第13通 (日付けなし)
4. 『親鸞聖人血脈文集』第2通 5月29日
5. 『親鸞聖人血脈文集』第4通 9月7日
1の手紙は、すでに読みましたように(第3章)、純粋に教え(現生正定聚)についての内容ですが、あとの4通は「鎌倉にての御うたへ」に関すること(2,3,5)、善鸞義絶に関すること(4)で、互いに深くつながっています。おそらく4通とも同年に出されたものと思われます。軸になるのが4の手紙で、親鸞はここで善鸞を義絶したことを性信房に報告しています。そして善鸞本人に宛てて義絶を通告する手紙が残っていまして(『真蹟・古写消息』6)、その日付けが建長8年5月29日となっています。4の手紙も同日に性信房に宛てて書かれたと思われますから、2~5の手紙はすべて建長8年(1256年、親鸞84歳)だと考えていいでしょう。書かれた順に並べ替えますと、次のようになります。
1. 『親鸞聖人血脈文集』第2通 建長8年(1256年)5月29日
2. 『親鸞聖人御消息集』第7通 建長8年7月9日
3. 『親鸞聖人御消息集』第13通 (日付けなし)
4. 『親鸞聖人血脈文集』第4通 建長8年9月7日
5. 『末燈鈔』第3通 正嘉元年(1257年)10月10日
(3と4の順は不明)