第7回 摂取の心光
(1)偈文7
摂取心光常照護(せっしゅしんこうじょうしょうご) 摂取の心光、常に照護したもう。
已能雖破無明闇(いのうすいはむみょうあん) 已(すで)に能く無明の闇を破すといへども、
貪愛瞋憎之雲霧(とんないしんぞうしうんむ) 貪愛瞋憎の雲霧、
常覆真実信心天(じょうふしんじつしんじんてん) 常に真実信心の天に覆(おお)
えり。
譬如日光覆雲霧(ひにょにっこうふうんむ) 譬(たと)えば日光の雲霧に覆わるれども、
雲霧之下明無闇(うんむしげみょうむあん) 雲霧の下、明らかにして闇無きがごとし。
獲信見敬大慶喜(ぎゃくしんけんきょうだいきょうき)信を獲て、見て敬い、大いに慶喜すれば、
即横超截五悪趣(そくおうちょうぜつごあくしゅ) 即ち横(よこさま)に五悪趣を
超截す。
(現代語訳) 弥陀の光明は、常にわれらを照らし護ってくださいます。その光に気づかせていただき、われらのこころの闇は晴れますが、だからと言って、貪りや愛欲、怒りや憎しみから遁れたわけではありません。いつも煩悩の雲や霧がかかり、真実の信心の空を覆っています。それはちょうど日の光が雲や霧に覆われていても、その下は明るく闇がないようなものです。本願に遇うことができ、大いなる喜びに包まれれば、そのとき横さまに五つの迷いの世界(地獄・餓鬼・畜生・人・天)を超えることができるのです。
(1)偈文7
摂取心光常照護(せっしゅしんこうじょうしょうご) 摂取の心光、常に照護したもう。
已能雖破無明闇(いのうすいはむみょうあん) 已(すで)に能く無明の闇を破すといへども、
貪愛瞋憎之雲霧(とんないしんぞうしうんむ) 貪愛瞋憎の雲霧、
常覆真実信心天(じょうふしんじつしんじんてん) 常に真実信心の天に覆(おお)
えり。
譬如日光覆雲霧(ひにょにっこうふうんむ) 譬(たと)えば日光の雲霧に覆わるれども、
雲霧之下明無闇(うんむしげみょうむあん) 雲霧の下、明らかにして闇無きがごとし。
獲信見敬大慶喜(ぎゃくしんけんきょうだいきょうき)信を獲て、見て敬い、大いに慶喜すれば、
即横超截五悪趣(そくおうちょうぜつごあくしゅ) 即ち横(よこさま)に五悪趣を
超截す。
(現代語訳) 弥陀の光明は、常にわれらを照らし護ってくださいます。その光に気づかせていただき、われらのこころの闇は晴れますが、だからと言って、貪りや愛欲、怒りや憎しみから遁れたわけではありません。いつも煩悩の雲や霧がかかり、真実の信心の空を覆っています。それはちょうど日の光が雲や霧に覆われていても、その下は明るく闇がないようなものです。本願に遇うことができ、大いなる喜びに包まれれば、そのとき横さまに五つの迷いの世界(地獄・餓鬼・畜生・人・天)を超えることができるのです。