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長生不死 [「『正信偈』ふたたび」その71]

(2)長生不死

曇鸞はインドから洛陽にやってきた訳経僧の菩提流支に携えてきた道教の書を見せ、中国にはこのような長生不死の勝れた書があるが、インドはどうかと尋ねたところ、何を言っているのか、インドで生まれた仏教こそこの上ない長生不死の教えではないかと言われ、その場で『観無量寿経』を授けられたとされます。「三蔵流支、浄教を授けしかば」とはそういうことで、曇鸞はそれに目が覚めて「仙経を梵焼して楽邦に帰したまひき」というわけです。これが『続高僧伝』に伝えられる逸話ですが、何かできすぎた話のようにも感じられます。ともあれ、このエピソードは曇鸞が病を機に浄土の教えに目を開くことになったことを示していると言えるでしょう。

親鸞は「信巻」の冒頭で、真実の信楽の功徳として第一に「長生不死の神方」を上げていますが、そのときこの曇鸞のエピソードが思い浮かべられていたのに違いありません。さてしかし本願を信じることがどうして「長生不死の神方」なのでしょう。これまで繰り返し述べてきましたように、本願を信じるとは、あらゆるいのちに「いのち、みな生きらるべし」という本の願いがかけられており、「わたしのいのち」は「わたしのいのち」のままで、すでに「ほとけのいのち」に包まれ、そのなかで生かされていると感じることに他なりません。そのことは「わたしのいのち」の生も死もすべて「ほとけのいのち」のなかのことであると気づくことですから、もはや生死の流れを超えていると言わなければなりません。これ以上の長生不死はあるでしょうか。かくして曇鸞は「仙経を梵焼して楽邦に帰す」ことになったのです。

そして次の第五句で、浄土の教えに帰した曇鸞は菩提流支が訳した天親の『浄土論』を注釈して『浄土論註』を著したことが述べられます。『浄土論』は先回見ましたように浄土教のエッセンスを明らかにするものですが、あまりに簡潔に過ぎ、これを曇鸞が丁寧に注釈してくれなければ、なかなかその深い意味を汲み取ることができないと言わなければなりません。親鸞はそのことを大いに感謝して和讃にこう詠っています、「天親菩薩のみことをも 鸞師ときのべたまはずは 他力広大威徳の 心行いかでかさとらまし」と。


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偈文1(第8回、曇鸞) [「『正信偈』ふたたび」その70]

第8回 往還の回向は他力による

(1)  偈文1

龍樹、天親とインドの二高僧を讃える偈につづいて、今度は中国の曇鸞が讃えられます。まずは前半の6句。

本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼

三蔵流支授浄教 梵焼仙経帰楽邦

天親菩薩論註解 報土因果顕誓願

本師曇鸞は、梁の天子、常に鸞の処に向かひて菩薩と礼(らい)したてまつる。

三蔵流支(さんぞうるし)、浄教を授けしかば、仙経を梵焼して楽邦に帰したまひき。

天親菩薩の『論』(浄土論)を註解(ちゅうげ)して、報土の因果誓願に顕す。

曇鸞という人がどれほど人々の崇敬を受けていたかは、南朝・梁の皇帝である武帝がいつも曇鸞のいる北に向かって菩薩の礼をとられていたことからも分かります。

インドの菩提流支三蔵(ぼだいるしさんぞう、菩提流支三蔵。三蔵とは経・律・論のことで、それに精通している人も指す)が曇鸞に『観無量寿経』を授けてからは、せっかく手に入れた不老長寿の道教経典を焼いて、浄土の教えに帰されました。

そして天親菩薩の『浄土論』を注解して、浄土へ往生する因も果もみな弥陀の本願によることを顕かにしてくださったのです。

曇鸞については、その教説に入る前に、その人となりについていくつかのことが言われます。まずはじめの二句ですが、曇鸞という人は南北朝時代とよばれる分裂の時代に生きた人で(476年~542年)、北の北魏という異民族(鮮卑族)支配の国に生まれました。彼の時代には雲崗や竜門の石窟寺院が造営されたことからも分かりますように、仏教が保護された時代でした。中国の南半分(江南)は漢民族の王朝が相次いだのですが、その一つ、梁の皇帝・武帝も曇鸞の徳を讃え、菩薩としての礼を取ったとされます。曇鸞は龍樹の空の思想を学んだ人で、中国に四論宗(龍樹の『中論』・『十二門論』・『大智度論』に提婆の『百論』を加えた四論に依る宗)を開いたとも言われ、国の内外から尊敬されていたことが分かります。

さて第三・四句はその曇鸞についての有名なエピソードです。曇鸞は大部の経典『大集経』を注釈しているときに病を得て、幸いその病は癒えましたが、それを機に長生不死の神仙術を学ぶため、はるばる江南(長江以南を指します)の高名な道士(道教の指導者)・陶弘景を訪ねます。そして十巻の書を得て北に戻ってきたとき、洛陽で菩提流支に出あうのです。


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自利と利他 [「『正信偈』ふたたび」その69]

(9)自利と利他

この問題を考えるとき真っ先に思うのが法然や親鸞の生涯です。法然は43歳のときに山を下りて専修念仏の生活に入り、親鸞は29歳のとき法然と出会い本願に帰入しましたが、二人のそれ以後の人生をどう見ればいいのでしょう。法然は吉水に草庵を開いて75歳で承元の法難で四国に流罪となるまで多くの人たちを教化し、その一人が親鸞であったわけですし、親鸞もまた越後流罪のあと、常陸の地で多くの弟子たちを教え導いたわけですから、彼らの後半生は自利の生活であると同時に利他のはたらきをしたという他ありません。としますと、今生ではひたすら自利の生活で、来生にはじめて利他のはたらきをするということにはなりません。

あらためて「一心」ということを考えてみましょう。本願力の回向によってわれらに信が開けるとき、本願とわれらの信心は「一つ」になっています。これが「一心」ということでした。ですから信が開けたということは、われらは「本願のひと」となったということに他なりません。それはすなわち本願を「わが願い」として生きるようになるということであり、法然や親鸞は本願を「わが願い」として生きた人と言わなければなりません。そして本願を「わが願い」として生きるということは、本願を人々に伝えることであり、すなわち教化のはたらきをするということです。この利他教化のはたらきは「そうしなければならない」という義務の意識からではなく、もう「そうしないではいられない」という思いから生まれ出てきます。

第十八願の成就文に「その名号を聞きて、信心歓喜せん」とありますが、名号の「こえ」が聞こえてくること(これが信です、聞即信です)は歓喜をもたらします。「ああ、もう“ほとけのいのち”のなかに摂取され生かされている」という思いは慶び以外の何ものでもありません。そして一般に喜びというものは、おのずからそれを他人に伝えたいという欲求を呼び起こします。真冬の御岳の神々しい姿が目に入ったときの喜びは、横にいるだれかれに「ほら、御岳が」と教えてあげざるを得なくさせます。そのように本願名号に遇えた慶びもそれを他人に伝えざるを得なくさせるのです。これが利他教化ということですから、それは自利と別ではありません。

(第7回 完)


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継時か同時か [「『正信偈』ふたたび」その68]

(8)継時か同時か

よくある解釈では、まず信心を得て正定聚となり、しかる後に往生するという時間の順序にしたがって、近門(信心)、大会衆門(正定聚)、宅門(往生)というように配置していくのですが、曇鸞=親鸞流の解釈では、信心を得ることが取りも直さず正定聚となることであり、それがまたそのままで往生することであるというように、すべてが同時的な出来事とされます。正信偈では「功徳大宝海に帰入すれば、かならず大会衆の数に入ることを獲」と言われ、さらに「蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなはち真如法性の身を証せん」と詠われますから、一見そこに時間の流れがあるかのように思えますが、この「帰入すれば」、「至ることを得れば」という古語の表現は、「AをしたならばBをする」という意味ではありません。

接続助詞の「ば」は動詞の未然形につくときは仮定条件「もし…ならば」という意味ですが、已然形につくと確定条件「すでに…だから」という意味になります。いまの「帰入すれば」も「至ることをうれば」も未然形ではなく已然形についていますから、「すでに帰入しましたから」、「すでに至ることを得ましたから」ということで、功徳大宝海に帰入する」ここと「かならず大会衆の数に入ることを獲」ること、「蓮華蔵世界に至ることを得る」ことと「すなはち真如法性の身を証す」ことの間に時間の経過はなく、同時的につながっていることを表しています。つまりすべては信心が得られたときの出来事であるということです。

さてここからもう一つ大事なことが出てきます、自利(すなわち往相)と利他(すなわち還相)の関係です。近門から屋門までは自利で、園林遊戯地門が利他ですが、よくある解釈では近門と大会衆門は現生、宅門以下は来生と割り振られますから、現生では自利で、利他のはたらきはいのち終わってからのこととなります。今生では信心し念仏申して正定聚となり、来生に往生して還相の菩薩としてはたらくという構図ですが、さてこの理解で得心がいくでしょうか。


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往生と正定聚 [「『正信偈』ふたたび」その67]

(7)往生と正定聚

まず近門について天親は「阿弥陀仏を礼拝し、かの国に生ぜんとなすをもつてのゆゑに、安楽世界に生ずることを得」と言います。阿弥陀仏を礼拝し往生を願えば、もうそれで安楽国に生まれることができるというのです。これは驚くべきことばのように思えますが、しかし第十八願の成就文には「かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得」とあり、それにもとづいて言われていることが分かります。曇鸞も近門について「初めに浄土に至るは、これ近の相なり」と述べ、つづけて「いはく、大乗正定聚に入りて、阿耨多羅三藐三菩提(仏の無上のさとり)に近づくなり」と言っています。これを見ますと、浄土に往生することと正定聚に入ることは一つであると捉えられていることが分かります。これも第十八願の成就文に「すなはち往生を得」のあとすぐ「不退転に住せん」と言われていることにもとづいています。「不退転に住す」ことと「正定聚に入る」ことは同義です。

これで見ますと近門とは往生することであり、そしてそれは正定聚に入ることであるのが分かりますが、では親鸞はどう考えていたのでしょう。近門についての直接の発言はここに「功徳大宝海に帰入すれば」とあるだけですが、往生と正定聚との関係については第十八願成就文を注釈して次のように述べています、「〈願生彼国(かの国に生ぜんと願ずれば)〉といふは、〈願生〉はよろづの衆生、本願の報土へ生れんとねがへとなり。〈彼国〉はかのくにといふ。安楽国ををしへたまへるなり。〈即得往生(すなはち往生を得)〉といふは、〈即〉はすはなちといふ、ときをへず、日をもへだてぬなり。また〈即〉はつくといふ、その位に定まりつくといふことばなり。〈得〉はうべきことをえたりといふ。真実信心をうれば、すなはち無礙光仏の御こころのうちに摂取して捨てたまはざるなり。摂はをさめたまふ、取はむかへとると申すなり。をさめとりたまふとき、すなはち、とき・日をもへだてず、正定聚の位につき定まるを〈往生を得〉とはのたまへるなり」(『一念多念文意』)と。

引用が長くなりましたが、親鸞もまた正定聚の位につくことと往生することはひとつであり、それは真実信心を得たときであると考えていたことが分かります。すなわち信心=正定聚=往生ということです。


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五功徳門 [「『正信偈』ふたたび」その66]

(6)五功徳門

これを見ますと、第一句の「功徳大宝海に帰入すれば」が近門、第二句の「かならず大会衆の数に入ることを獲」が大会衆門、第三句の「蓮華蔵世界に至ることを得れば」が宅門、第四句の「すなはち真如法性の身を証せん」が屋門、そして第五・六句の「煩悩の林にあそんで神通を現じ、生死の園にいりて応化を示す」が園林遊戯地門のそれぞれに当たると理解することができますが、さて問題はこれら五門の関係です。『浄土論』の説き方では第一門から第二門、そして最後に第五門となっていますから、ここには時間的な順序があるように思われます。近門から大会衆門へ、そしてさらに宅門へというように行の進展に伴ってその証果も深まっていくと。

よくある解釈では、近門で本願の信を獲て、大会衆門で正定聚の位となるとされます。そして宅門に至って浄土に往生することができ、屋門では浄土において真如の味わいを楽しむことができると理解されます。ここまでが自利の段階で、最後の園林遊戯地門は浄土から穢土に還ってきて、衆生済度という利他のはたらきをすることだと解釈されます。そして近門と大会衆門は現生の利益(現益)であるのに対して、宅門以下は来生の利益(当益)として、現世から来世への一連の流れとみなされます。五功徳門に時間的な序列をつけますと、このようにある意味すっきりした解釈になると思われますが、さてこれでいいのでしょうか。

この解釈の前提となっているのは、「正定聚になること」と「往生すること」は別であり、両者の間には時間の経過があるとする考えです。すなわち本願の信を獲たときに正定聚となるが(現生正定聚)、浄土に往生するのは臨終のときである(臨終往生)という立場がもとにあるということです。そしてそれと一体不離の関係にありますが、自利(すなわち往相)と利他(すなわち還相)もまた時間的に分けられ、現生においては自利、利他は来生においてとされます。この立場は現在の浄土真宗において確固たる地歩を得ており、そのように考えることがもはや常識のようになっています。しかしここから疑わなければなりません、そもそも天親や『浄土論』を注釈した曇鸞はそんなふうに見ていたのだろうか、そしてこの二人から圧倒的な影響を受けた親鸞(この名のりは二人の名から採られています)はどうだろうかと。


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偈文2 [「『正信偈』ふたたび」その65]

(5)偈文2

さて天親讃の後半六句です。

帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数 

得至蓮華蔵世界 即証真如法性身 

遊煩悩林現神通 入生死薗示応化

功徳大宝海(本願の海)に帰入すれば、かならず大会衆(だいえしゅ、浄土の仲間)の数に入ることを獲。

蓮華蔵世界(浄土)に至ることを得れば、すなはち真如法性の身を証せしむと。

煩悩の林にあそんで神通を現じ、生死の園にいりて応化(おうげ、衆生済度のためさまざまな姿を取ること)を示すといへり。

天親菩薩は『浄土論』の後半(長行)において、次のように言われています、「弥陀本願の功徳の海に入ることができましたら、かならず正定聚の中に数えられます。

そして蓮華の世界である浄土に至ることができましたら、そのとき真如法性の身になることが約束されます。

しかしそのまま浄土にとどまることなく、娑婆の煩悩世界に戻ってきては、神通の力を発揮して生死の迷いの中にいる衆生のために働かせていただくのです」と。

前半六句で本願力回向により「一心」(本願と一つである信心)を得ることが述べられましたが、さてそのときどのような世界が開けるかが後半六句で詠われます。天親は「願生偈」をみずから解説する「長行」において五念門と五功徳門を上げていますが、五念門と言いますのは、われらが信心を得て往生するための五つの行すなわち礼拝・讃嘆・作願・観察・回向のことで、五功徳門は五念門のそれぞれによって得られる五つの功徳すなわち近門(ごんもん)・大会衆門・宅門・屋門・園林遊戯地門(おんりんゆげじもん)のことです。そして五功徳門のうち前の四つは自利の功徳で、最後の一つは利他の功徳だとします。

それによりますと、第一門・近門とは「安楽世界に生ずることを得」ること、第二門・大会衆門とは「大会衆(浄土での阿弥陀仏の法会につらなるもの)の数に入ることを得」ること、第三門・宅門とは「蓮華蔵世界に入ることを得」ること、第四門・屋門とは「かの所に到りて種々の法味楽を得」ること、そして第五門・園林遊戯地門とは「大慈悲をもつて一切苦悩の衆生を観察して、応化身を示して、生死の園、煩悩の林のなかに回入して遊戯し、神通をもつて教化地に至る」ことだとされます。


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一心を彰す [「『正信偈』ふたたび」その64]

(4)一心を彰す

次は第五・六句の「広く本願力の回向によりて、群生を度せんがために一心を彰す」ですが、これは一筋縄ではいかない複雑な文です。「広く本願力の回向によりて、群生を度せん」とするのは弥陀ですが、「一心を彰す」のは天親であるというように、主語がねじれています。短い文の中に多くのことを詰めこもうとしてこのように分かりにくい文になったと言わざるをえません。そこで僭越ながら親鸞が言おうとしたことを忖度してみますと、われら群生が生死の海を渡ることができるのは弥陀の本願力の回向によることを明らかにしようとして、天親は「一心を彰」したということでしょう。ここで「一心を彰す」と言われますのは、『浄土論』の冒頭で「世尊、われ一心に尽十方無礙光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず」と表明したことを指しますが、さてこの「一心」とはそもそもどういうことでしょうか。

普通「一心」とは「心を一つのことに集中して」とか「他のことに心を移さずに」といった意味ですが、親鸞はこの「一心」に特別の意味を込めています。

われらが何かを信じるとき、まず何かがあり、それをわれらが信じますから、何かとわれらは「二つ」になっています。それが普通の「信じる」ですが、さて本願を信じるとはどういうことでしょう。すぐ前のところでこう言いました、本願から「われをたのめ」という招喚の勅命が聞こえてくると。この「こえ」が聞こえることが本願を信じるということです。本願なるものがどこかにあるのではなく、それは「こえ」となってわれらにはたらきかけてくるのです。そのはたらき(これが本願力です)がわが身の上に生き生きと感じられることが本願を信じるということですから、そこにおいて本願とわれらは「一つ」になっています。これが「一心」ということです。

「本願力の回向によりて」とは、信心は本願力がわれらにはたらきかけて生まれるものであるということですが、そのようにして生まれた信心は本願と「一つ」であり、その信心は「一心」であると言っているのです。このように信心と本願は一つであるからこそ、われらは信心によりたすかるのです。


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横超の大誓願 [「『正信偈』ふたたび」その63]

(3)横超の大誓願

さてここで大事なことは、天親が「われ一心に尽十方無礙光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず」と言うのは、それに先立って「尽十方無量寿如来に帰命し、安楽国に生ぜんと願ぜよ」という「こえ」が聞こえているからであるということです。

われらが何かを発信するのは、それに先立って受信しているからというのは、道を歩いていて誰かとすれ違うとき、見知らぬ人なのに「こんにちは」と挨拶することがありますが、それを考えてみるとよく分かります。そのときその人から「こんにちは」の「こえ」が密かに心に届いているのではないでしょうか。だからこそ見ず知らずの人なのに、顔見知りであるかのごとく「こんにちは」と「こえ」をかけるのだと思うのです。ジャック・デリダという哲学者は、われらが誰かに「アロー(ハロー)」と電話するのは、その前にその人から「アロー」という密かな「こえ」が聞こえているからだと言っています。

そのように、われらが「南無阿弥陀仏(阿弥陀仏に帰命します)」と発信(称名)するのは、それに先立って「南無阿弥陀仏(われに帰命せよ)」という「こえ」を受信(聞名)しているからです。親鸞は『教行信証』「行巻」において「南無阿弥陀仏」の意味することを注釈し(六字釈と言います)、「『南無』の言は帰命なり。…ここをもつて『帰命』は本願招喚の勅命なり」と言っています。省略した部分で「帰命」という文字を「帰」と「命」に分けてそれぞれの意味を探り、結局のところ「帰命」とは「よりたのめと命ずること」ということ、すなわち本願が「われをたのめと招き喚ぶこと」であると結論しています。われらが「南無阿弥陀仏(阿弥陀仏に帰命します)」と発信するのは、その前に本願から「南無阿弥陀仏(阿弥陀仏に帰命せよ)」という「こえ」を受信しているからだということです。

これが第三・四句の「修多羅によりて真実を顕して、横超の大誓願を光闡す」ということで、天親は『無量寿経』に説かれている本願(横超の大誓願)のもつ意味、すなわちそれは「われをたのめ」という招喚の勅命であることを明らかにしたということです。


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無礙光如来に帰命したてまつる [「『正信偈』ふたたび」その62]

(2)無碍光如来に帰命したてまつる

前置きはこれぐらいにしまして偈文に入りますが、その第一句で、「天親菩薩、『論』を造りて説かく」と天親が『浄土論』を著したことが述べられます。これは、親鸞にとって浄土教の歴史のなかでこの『浄土論』の存在が格別に大きい意味をもつということです(『教行信証』「信巻」の序で、浄土三部経と肩を並べるかたちで『浄土論』に言及しています)。

『浄土論』は非常にコンパクトなつくりで、前半が阿弥陀仏とその浄土を讃える「願生偈」、後半にその偈文をみずから解説する「長行(じょうごう、散文の部分)」となっています。そして「願生偈」の冒頭、その第一偈が「世尊、われ一心に尽十方無礙光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず」ですが、それがここで「無礙光如来に帰命したてまつる」という第二句となっています。その第二偈が「われ修多羅の真実功徳相によりて、願偈を説きて総持し、仏教と相応せん」ですが、それをもととして「修多羅によりて真実を顕して、横超の大誓願を光闡す」の第三・四句が詠われているのです。

こんなふうに、天親は「願生偈」のはじめに、「われ一心に尽十方無礙光如来に帰命したてまつる」と宣言しているのですが、これは「南無阿弥陀仏」ということに他なりません。「南無阿弥陀仏」という不思議なことばは、“namo”を「南無」に、“amitabha”を「阿弥陀」に、“buddha”を「仏」と梵語をそのまま音訳しただけで、これでは何を言っているのか分かりません。では、その意味はといいますと、“namo”は「帰命します(信じ敬います)」で、“amitabha”は「無量光」、“buddha”は「如来」ということですから、「わたしは無量光如来に帰命いたします」となるのです(『大経』では阿弥陀仏を十二の光の名で呼んでいて、「願生偈」ではその中の無礙光をつかっています)。

ここから分かりますのは「南無阿弥陀仏」は「わたし」を主語とする文であるということです。「南無阿弥陀仏」のことを「名号」と言いますから、これはただ阿弥陀仏の名前のことだと思ってしまいますが、それは大きな間違いで、「南無阿弥陀仏」とは「わたしは阿弥陀仏に帰命します」と宣言することです。このように「名号」とは「称名」に他ならず、親鸞はしばしば「名号」のことを「称名」と言い、「称名」のことを「名号」と言うことになります。


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