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9月9日(金) [矛盾について(その402)]

 「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」。
 何度読んでもじんわりと感動させてくれることばですが、これこそ還相の姿ではないでしょうか。
 「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤ」るのは、『歎異抄』第4章のことばでは「ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむ」ことでしょう。慈悲のこころ、利他のこころでしょう。親鸞はこれを「聖道の慈悲」と呼び、「おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし」といかにも否定的に評価します。そこに違和感を感じてしまうのですが、その違和感を解消する決め手となるのが「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ」ということばであるような気がします。
 鳩の話に絡めますと、森の火を羽ばたきの水で消そうとするようなものは「デクノボー」でしょう。そんなことをしても「ホメラレモ」しないでしょう。でも必死に火を消そうとする。自分を育ててくれた森が焼けるのを悲しんで、何とかしなければと思う。じっとしていられない。ここがいわゆる「聖道の慈悲」とは違うところではないでしょうか。「聖道の慈悲」は、「ものをあはれみ、かなしみ、はぐく」みながら、それを誇りに思い、こころのどこかで「ホメラレ」たいと思っています。「けっこう立派じゃないか」と自分をほめています。

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