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12月1日(水) [矛盾について(その125)]

 「これはうまい」と同じように「これは煩悩だ」と感じるときは、これは自分にとってだけでなく、みんなにも当てはまると感じます。「自分だって割り込みをしたいと思っているじゃないか」とハッとしたとき、「みんなも割り込みをしたがっている」と感じるのです。これは、みんなもそうじゃないかと思うことで、責任逃れをしようとしているのではありません。そう思いたいから思うのではなく、そう思わざるを得ないのです。「これはうまい」と感じたとき、誰彼に「食べてごらん、うまいよ」と言いたくなるように、「これは煩悩だ」と感じたら、誰彼なしに「あなたの中にも同じ煩悩があるでしょう」と言いたくなるのです。
 自分の中に煩悩を感じるということは、みんなの中に煩悩があると感じることです。そしてみんなの中に煩悩があるということは、みんな例外なく悪人だということです。
 ここで大急ぎで言っておかなければならないのは、悪人であることと悪をなすこととは別だということです。悪をなすのは間違いなく悪人ですが、悪人だからと言って悪をなすとは限りません。みんな例外なく悪人だとしても、みんな例外なく悪をなすわけではないのです。みんな腹の中では「割り込みをしたい」と思っていても、実際に割り込みをするのは一部の人です。「割り込みをしたい」と思っていることではみんな一緒でも、ほんとうに割り込みをするかどうかでは天地の差があるのです。「割り込みをしたい」という思いを押さえて順番を守ることは、思いのままに振舞うことと比べてはるかに立派なことと言わなければなりません。
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