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現生十益 [「信巻を読む(2)」その22]

(9)現生十益

十八願成就文の注釈につづいて、本願力回向の信心を得ることにより現生で十の利益があることが述べられます。

金剛の真心を獲得すれば、横に五趣八難(五趣は地獄・餓鬼・畜生・人・天の五道。八難は仏・法を見聞することが難しい八つの境界)の道を超え、かならず現生に十種の利益を獲。なにものをか十とする。一には冥衆護持(観音・勢至などの菩薩や梵天・帝釈などの諸天神などに守護されること)の益、二には至徳具足の益、三には転悪成善の益、四には諸仏護念の益、五には諸仏称讃の益、六には心光常護の益、七には心多歓喜の益、八には知恩報徳の益、九には常行大悲の益、十には正定聚に入る益なり。

ここであらためて「信の一念」を思い起こしましょう。「ふたごころなき」信心が開け発る「ときのきはまり」が「信の一念」でした。親鸞はこの「ときのきはまり」を言い表すことばとして善導の「前念命終、後念即生」を持ち出し、こう言います、「本願を信受するは、前念命終なり。『すなはち正定聚の数に入る』(論註)と。即得往生は、後念即生なり。『即の時必定に入る』(易行品)と」(『愚禿鈔』)。善導がこのことばで言っているのは文字通りいのち終わるときのことですが、親鸞はそれを信心のおこる「ときのきはまり」のこととするのです。「信楽開発の時剋の極促」に、それまでの古いいのちが終わり、そして正定聚としての新しいいのちが生まれるということです。

その「ときのきはまり」に十種の利益を得ることになるというのです。『愚禿鈔』の引用から明らかなように、十種の利益のなかで最後の「正定聚に入る益」がその核心と言えます。これがすべての利益の根っ子にあり、そこから他の九種の利益が生じてくるということです。「正定聚に入る」とは「かならず仏となるべき身となる」(親鸞の注釈)ことですが、それを「わたしのいのち」がそのままで「ほとけのいのち」に摂取され、「ほとけのいのち」として生きることと言いかえることができます。これがあるからこそ、他のすべての利益が生まれてくるのです。


タグ:親鸞を読む
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