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「『証巻』を読む」その45 ブログトップ

第5回、本文2 [「『証巻』を読む」その45]

(4)第5回、本文2

さてこれから還相の菩薩についての『論註』の文がはじまります。

またいはく、「〈すなはちかの仏を見たてまつれば、未証(みしょう)(じょう)(しん)の菩薩(菩薩の階位・十地のうち、初地から七地までの菩薩)、畢竟(ひっきょう)じて平等法身(八地以上の菩薩の身)を得証す。浄心の菩薩(八地の菩薩)と、上地のもろもろの菩薩(九地・十地の菩薩)と、畢竟じて同じく寂滅平等を得るがゆゑに〉(浄土論)とのたまへり。平等法身とは、八地以上法性(ほっしょう)生身(しょうじん)(法性真如の身)の菩薩なり。寂滅平等とは、すなはちこの法身の菩薩の所証の寂滅平等の法なり。この寂滅平等の法を得るをもつてのゆゑに、名づけて平等法身とす。平等法身の菩薩の所得なるをもつてのゆゑに、名づけて寂滅平等の法とするなり。この菩薩は報生(ほうしょう)三昧(ざんまい)(八地以上の菩薩が得る寂静の境地、意志をはたらかせることなく衆生救済ができる)を得。三昧神力をもつて、よく一処・一念・一時に、十方世界に遍して、種々に一切諸仏および諸仏大会衆(だいえしゅ)(かい)を供養す。よく無量世界に仏法僧ましまさぬ処にして、種々に示現(じげん)し、種々に一切衆生を教化し度脱(どだっ)して、つねに仏事(衆生救済の仕事)をなす。初めに(はじめから)往来の(おもい)供養の想、度脱の想なし。このゆゑにこの身を名づけて平等法身とす。この法を名づけて寂滅平等の法とす。未証浄心の菩薩とは、初地以上七地以還(いげん)(以下)のもろもろの菩薩なり。この菩薩、またよく身を現ずること、もしは百もしは千、もしは万ましは億、もしは百千万億、無仏の国土にして仏事を施作(せさ)す。かならず心をなして三昧に入りて、いましよく()(しん)(意志をはたらかせる)せざるにあらず。作心をもつてのゆゑに、名づけて未証浄心とす。この菩薩、安楽浄土に生じてすなはち阿弥陀仏を見んと願ず。阿弥陀仏を見る時、上地のもろもろの菩薩(八地以上の菩薩)と、畢竟じて身等しく法等しと。龍樹菩薩・婆藪槃頭(ばそばんず)菩薩(天親)の(ともがら)、かしこに生ぜんと願ずるは、まさにこのためなるべしならくのみと。


タグ:親鸞を読む
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