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われ玉女の身となりて犯せられん [「親鸞とともに」その51]

(4)われ玉女の身となりて犯せられん

恵信尼の書簡と『伝絵』を綜合してみますと、二十九歳の親鸞はこころに何か思いつめることがあり、山を下りて六角堂の百日参籠をするのですが、その九十五日目の朝まだき、観音菩薩が示現し、親鸞に対して「汝に妻帯の宿縁があるなら、わたしが妻になってあげよう」と告げるのです。それを受けた親鸞はその足で「後世のたすからんずる縁にあひまゐらせんと」東山吉水の法然上人のもとを訪ねることになります。ここで確認しておきたいのは、法然と親鸞の年齢の差は40歳もあり、法然が43歳のとき山を下りて吉水で専修念仏を説きはじめたのは、親鸞が3歳のときであるということです。つまり、法然の噂はもうとうの昔に全国に広まっていて、親鸞がそれを知らないはずはなく、いつもこころのどこかに引っかかっていたに違いありません。

何しろ法然は山の大先輩であり、智慧第一の法然房としてその名が知られていた人ですが、その人が山を下りて「ただ念仏」の教えを説き、道俗問わず多くの人たちから仰がれていたのですから、そのことに親鸞が無関心でいられるはずがありません。ついにその法然上人にあおうと決断するに至ったのです。そこで問題は親鸞の夢の内容とその足で法然を訪ねたこととがどうつながるのかということです。まず、この驚くべき内容の夢告があったということから窺われるのは、当時の親鸞が何に悩んで六角堂参籠をしたかということです。自分に不婬の禁戒を守り通せるだろうか、守れたとしても、日々自分を襲ってくる性的な欲求をどうすればいいのだろうという悩みではなかったでしょうか。そんな親鸞に「汝が妻帯するなら、わたし観音菩薩が妻となってあげよう」というお告げがあったのですから、これは親鸞にとって重大な啓示と受けとめられたに違いありません。

しかしそのことがなぜ法然を訪ねることにつながるのか。先ほど述べましたように、親鸞は法然の教えがどのようなものであるか、風の便りにおおよそのところは知っていたことでしょう。その法然の教えとこの啓示がぴったり重なったものと考えられます。親鸞が法然にあう時が熟したということです。


タグ:親鸞を読む
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