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善導、ひとり仏の正意を明かせり [「『正信偈』ふたたび」その89]

第10回 本願の大智海に開入すれば

(1)  善導、ひとり仏の正意を明かせり

次は善導讃です。まず前半3句から。

善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪

光明名号顕因縁

善導、ひとり仏の正意を明かせり。定散逆悪とを矜哀(こうあい)して、

光明・名号、因縁をあらはす。

善導大師は唐の時代にただ一人、『観無量寿経』にあらされた釈迦仏の真意を明かしてくれました。

弥陀如来は、定善・散善を行う善人も、十悪・五逆を行う悪人もひとしく慈しんでくださり、浄土往生のために光明の縁と名号の因とを与えてくださったということを明確にしてくれたのです。

注1 定善の機と散善の機のこと。定善とは「息慮凝心(そくりょぎょうしん。おもんぱかりをやめ、心を凝らす)」、散善とは「廃悪修善(はいあくしゅぜん。悪をやめ、善を修す)」で、いずれも自力修善であり、歎異抄のことばでは「自力作善」。

注2 五逆と十悪の罪人。五逆は殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧。十悪は殺生・偸盗・邪婬(以上、身業)、妄語・両舌・悪口・綺語(以上、口業)、貪欲・瞋恚・愚痴(以上、意業)。

善導は唐代の僧で、浄土教の歴史のなかにひときわ高く聳えています(日本の浄土教はみな善導の流れを汲んでいると言えます)。彼は玄中寺の道綽を訪ねてその門に入り、道綽亡き後は長安の光明寺で念仏弘通につとめた人です。さて親鸞は第1句の「善導、ひとり仏の正意を明かせり」という言い方で、善導が浄土教の歴史のなかに占めている位置をはっきりと示しています。中国仏教界では『観経』がよく読まれ、浄影寺慧遠(白蓮社をつくる)や嘉祥寺吉蔵(三論宗の大成者)あるいは天台智顗といった有力な人たちがその注釈書を著しているのですが、善導はそのような人たちによる一般的な『観経』の見方を根本から覆すような解釈を打ち出したのです。それが彼の主著『観経疏』で、そこから「善導、ひとり仏の正意を明かせり」と言われるのです。

『観経』とはどのような経典か、そのあらましをお話しておきましょう。インド・マガダ国の王舎城の悲劇からはじまるというドラマ性をもった経典で、そこからも人気が出たと思われますが、わが子・阿闍世に夫、したがって阿闍世の父である頻婆娑羅王が殺害され、自身も王宮深く幽閉された韋提希夫人が釈迦の導きにより弥陀の本願念仏の法に救われるという内容です。


タグ:親鸞を読む
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