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「わがもの」とは? [『末燈鈔』を読む(その165)]

(6)「わがもの」とは?

 さてでは何が「わがもの」で、何が「わがもの」ではないのでしょう。その境界はどこにあるか。
 これが「わがもの」であるのはどうしてかと言われたら、「正当に手に入れたから」と答えるしかありません。そして「正当に」とは、要するに「盗んだものではない」ということです。プルードンのように「財産はすべて盗みである」と言うような人もいて、盗んだものではないことを証明するのはなかなか困難ですが、実際のところは「法に照らして正当に」という意味に落ち着くでしょう。
 そして「法に照らして正当に」ということは、大方の人たちから「それはあなたのものです」と認められていることに他なりません。つまり「わがもの」の境界線は、結局のところ、お互いに「これはわたしのもの、あれはあなたのもの」と承認しあうことで引かれるということです。尖閣諸島のように、互いの承認がありませんと、その境界線は確定せず、係争の的となります。
 このように「わがもの」の境界線はおのずと確定されるものではなく、他の人たちから承認されるかどうかに依存しているのです。
 さて問題は「他の人たち」です。依然としてパレスティナで多くの血が流れていますが、この問題を例に考えてみましょう。イスラエルの人たち同士で「ここはわたしの土地、あそこはあなたの土地」という合意が成り立っていても、パレスティナの人たちは「そこはもともとわれらの土地」と考えるでしょう。イスラエル国内の「他の人たち」の承認と、国外の「他の人たち」の承認とはガラッと異なってくるのです。
 イスラエルの人が自分たちの相互承認だけで「これはわが土地」と決めつけますと、それを認めず「そこはもともとわれらの土地」と主張するパレスティナ人はイスラエル人にとって不倶戴天の敵となります。ここに「わがもの」の正体がはっきり姿をあらわすのではないでしょうか。


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