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「信巻を読む(2)」その135 ブログトップ

曇鸞の答え [「信巻を読む(2)」その135]

第12回 千歳の闇室に、光もししばらく至れば

(1)曇鸞の答え

難化の三機(五逆・謗法・一闡提)について『大経』と『観経』とでは違う説き方がされていることをどう考えればいいかという問題です。まずは曇鸞『論註』の解法から。

報(こた)へていはく、『論の註』にいはく、「問うていはく、『無量寿経』にのたまはく、〈往生を願ぜんもの、みな往生を得しむ。ただ五逆と誹謗正法とを除く〉と。『観無量寿経』に、〈五逆・十悪もろもろの不善を具せるもの、また往生を得〉といへり。この二経、いかんが会(え)せんやと(大経と観経の違いをどう考えたらいいか)。

答へていはく、一経(大経)には二種の重罪を具するをもつてなり。一つには五逆、二つには誹謗正法なり。この二種の罪をもつてのゆゑに、このゆゑに往生を得ず。一経(観経)にはただ十悪・五逆等の罪を作るというて、正法を誹謗すといはず。正法を謗せざるをもつてのゆゑに、このゆゑに生を得しむと。

問うていはく、たとひ一人は五逆罪を具して正法を誹謗せざれば、『経(観経)』に得生を許す。また一人ありてただ正法を誹謗して、五逆もろもろの罪なきもの往生を願ぜば、生を得るやいなやと(では誹謗正法だけで五逆罪ではないものは往生できるか)。

答へていはく、ただ正法を誹謗せしめて、さらに余の罪なしといへども、かならず生ずることを得じ。なにをもつてこれをいふとならば、『経(大品般若経)』にいはく、〈五逆の罪人、阿鼻大地獄のなかに堕して、つぶさに一劫の重罪を受く。誹謗正法の人は阿鼻大地獄のなかに堕して、この劫もし尽くれば、また転じて他方の阿鼻大地獄のなかに至る。かくのごとく展転(てんでん)して百千の阿鼻大地獄を経(ふ)〉と。仏、出づることを得る時節を記したまはず。誹謗正法の罪、極重なるをもつてのゆゑなり。また正法はすなはちこれ仏法なり。この愚痴の人、すでに誹謗を生ず、いづくんぞ仏土に願生するの理(ことわり)あらんや。たとひただかの安楽に生ぜんことを貪じて生を願ぜんは、また水にあらざる氷、煙なきの火を求めんがごとし。あに得る理あらんやと。

曇鸞はまず、『大経』では「五逆」と「謗法」が重なる場合に往生できないとされ、『観経』では「五逆」だけの場合は往生できるとしているのだから矛盾しないと言います。次いで、では「謗法」だけの場合はどうかと問い、それは往生できないと答えます。なぜなら、「謗法」は「五逆」よりはるかに罪が重く、しかも「謗法」のものが往生を願うはずがないからだと言うのです。


タグ:親鸞を読む
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