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真宗の教証を片州に興す [「『正信偈』ふたたび」その108]

第12回 かならず信心をもつて能入とす

(1)  真宗の教証を片州に興す

いよいよ七高僧の最後、源空讃です。まずは前半の4句。

本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人

真宗教証興片州 選択本願弘悪世

本師源空は仏教にあきらかにして、善悪の凡夫人を憐愍せしむ。

真宗の教証を片州(かけらのような国ということで、日本)に興す。選択本願悪世にひろむ。

わが師、源空(法然)上人は仏教を究め明らかにして、われら善悪の凡夫を導いてくださいました。

浄土の真実の教えをわが日本に興して、弥陀選択の本願をこの悪世にひろめてくださいました。

第1句「本師源空は仏教にあきらかにして」とは、法然はその著書『選択本願念仏集』により仏教とは何であるかを明らかにしてくださったということです。すなわちこの書は「選択本願念仏の教えこそが仏教である」と主張し、これまでは寓宗にすぎなかった浄土宗の独立を宣言した記念碑的な書物と言わなければなりません。もちろん法然より前に源信の『往生要集』は念仏の教えを体系的に説き明かし、それが後世に絶大な影響を与えたことは言うまでもありませんが、しかし源信は「仏教のなかの念仏」を確固たるものとしたのであって、決して「念仏が仏教である」と主張したわけではありません。その証拠に源信は最後まで比叡山・横川の源信僧都として生きたのであり、山を降りて天台宗から離れることはありませんでした。

一方、法然は43歳のとき、黒谷の書庫のなかで出会った善導の『観経疏』「散善義」の一節、「一心にもつぱら弥陀の名号を念じて、行住坐臥に時節の久近(くごん)を問はず念々に捨てざるは、これを正定の業と名づく、かの仏の願に順ずるがゆえなり」が胸の奥に突き刺さってくるという経験をして、それを機に決然と山を降りて専修念仏の道を歩みはじめたのでした(このときをもって浄土宗の立教開宗の年とされます)。法然はこのように「念仏が仏教である」ことを自己一身の生き方をもって示したと言えます。親鸞は和讃でこう讃えています、「本師源空世にいでて 弘願の一乗ひろめつつ 日本一州ことごとく 浄土の機縁あらはれぬ」(『高僧和讃』源空讃)と。


タグ:親鸞を読む
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