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曠劫多生のあひだにも [親鸞の和讃に親しむ(その77)]

(7)曠劫多生のあひだにも

曠劫多生(こうごうたしょう)のあひだにも 出世の強縁しらざりき 本師源空いまさずは このたびむなしくすぎなまし(第101首)

これまで生死をくりかえし、出離の縁に遇えなくて、本師源空いまさずば、またもむなしくすぎなまし

本願名号に遇うことは、自分にとって本師源空に遇うことに他ならなかったと詠嘆されています。この和讃を詠みながら、親鸞は比叡の山に登ってからの長い時間を思い浮かべているに違いありません。これまでずっと、いかにすれば生死の迷いから抜け出ることができるかと暗中模索を続けてきたが、その甲斐もなくむなしく過ごしてきた。思い立って六角堂に百日籠り、「出世の強縁」に出あいたいと思っていたその九十五日目の明け方、観音菩薩の示現に与り、「汝に妻帯の宿縁があるのなら、わたしが玉女となってつれ添ってあげよう」という夢告を受けたのでした。その足で親鸞は東山吉水の草庵を訪ね、法然聖人とはじめて会うことになります。親鸞二十九歳、法然六十九歳のときでした。この出会いがなかったならば、本願名号の真実の教えを知らないまま「このたび(この一生を)むなしくすぎなまし」と感じているのです。

縁の不思議はいろんなところに感じますが、本願名号に遇う縁ほど、その不思議に打たれることはないでしょう。親鸞はそれを『教行信証』の序でこう言っています、「ああ、弘誓の強縁、多生にも値(もうあ)ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」と。本願名号は、それに直に遇うことはできません、「よきひと」と遇うことを通してはじめて遇うことができるのです。「よきひと」とはすでに本願名号に遇うことができた人で、その人の証言を通して、そのなかから本願名号に遇うことができるのです。親鸞は法然という「よきひと」を通して本願名号に遇うことができましたが、法然もまた善導という「よきひと」に『観経疏』という書物を通じて遇うことができ、それを縁として本願名号に遇うことができたのでした。そして善導もまた道綽という「よきひと」がいたというように、本願名号は人から人へとリレーされて伝えられていくのです。


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