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はじめに(4) [「親鸞とともに」その40]

第4回 孤独ということ

(1)はじめに

この頃よく夢を見ます。だいたい三つか四つのパターンがあるような気がしますが、その一つが、多くの友人たちのなかにいながら孤独に苦しむという非常にあと味の悪い夢です(他のパターンもだいたい悪夢で、ああ、いい夢だったなどということはまずありません)。友人がいなくて寂しいわけでもなく、友人たちと仲が悪いわけでもありません、友人たちの輪のなかにいるのですが、だからこそ余計に孤独を感じてしまうという何ともたちの悪い夢です。昼間は特に何かに心が悩まされるようなこともなく、穏やかな日々を送っているのに、夢のなかでどうしてこんなに苦しい思いをしなければならないのかと思います。ここには何か深いわけがあるような気がします。

そもそも孤独とはどういうことでしょう。

孤独は、周りに人がいるかいないかとは関係がありません。たった一人であっても孤独を感じないことはありますし、多くの人と一緒にいるなかで強く孤独を感じることもあります。孤独を感じるかどうかは、傍に人がいるかいないかではなく、自分がいま生きている場に安らぎがあるかないかということではないでしょうか。場に安らぎが感じられれば、誰とも会わなくても孤独と思うことはなく、場に安らぎが感じられないと、どれほど多くの人と一緒にいても、そのなかで孤独です。われらはわが身ひとつで生きることはできません、かならず生きる場が必要ですが、その生きる場と自分との関係如何に孤独の問題の根っ子があるようです。

仏教に「身土不二」ということばがあります。わが「身」と、生きる場である「土」は切り離すことができないということです(穢土とか浄土というように、仏教では生きる場を「土」ということばで表します)。このことばをつかいますと、切り離すことのできない「身」と「土」がどのような関係になっているかということ、ここに孤独を考える鍵があるように思われます。


タグ:親鸞を読む
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