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2013年11月13日(水) [はじめての『教行信証』(その108)]

 「一般」と「普遍」。
 先ほどの例で、「人間とは?」と考えるとき、人間一人ひとりみな違いますが、そこに共通するものを見いだそうとします。その共通するものが「一般」です。手が2本、足が2本あるのが人間としての「一般」です。さてしかし、こうなりますと手足のない人は例外者あつかいになります。
 それを差別と捉え、手足のない人もある人と同じように暮らせるようにしなければならないという考え方をノーマライゼーションと言います。
 手足があろうがなかろうが同じように生活できるのがノーマルだというのです。車椅子生活の人は、五体満足の人の思い至らない悩みを抱えています。例えば、評判の映画を観たいと思ったとして、そのためには多くの場合、電車に乗らなければなりません。車椅子のままで電車に乗り降りすることができるようにするには、エレベーターを設置するなど駅を改造することが必要となります。
 しかし、五体満足な人からすると、少数の身障者のために駅を改造するのは無駄な出費をしていると感じられるかもしれません。例外のために普通が犠牲になっているという感覚。これが「一般」の立場です。一般には例外がつきもので、例外は辛抱してもらうしかないという思想。
 それに対して、例外を作ることはすべてを台無しにするというのが「普遍」の思想です。

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