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「信巻を読む(2)」その142 ブログトップ

善導の答え [「信巻を読む(2)」その142]

(8)善導の答え

次は善導です。善導は曇鸞と同じ問題について別の解法を示します。

光明寺の和尚いはく、「問うていはく、四十八願のなかのごときは、ただ五逆と誹謗正法とを除きて、往生を得しめず。いまこの『観経』の下品下生のなかには、誹謗を簡(きら)ひて五逆を摂(せっ)せるは、なんの意(こころ)かあるやと。

答へていはく、この義、仰いで抑止門(おくしもん、摂取門に対する語、造悪を抑止する教え)のなかについて解(げ)す。四十八願のなかのごとき、謗法・五逆を除くことは、しかるにこの二業、その障(さわり)極重なり。衆生もし造れば、ただちに阿鼻に入りて歴劫周章(りゃくこうしゅうしょう、長い間うろたえ苦しむ)して出づべきに由なし。ただ如来、それこの二つの過(とが)を造らんを恐れて、方便して止めて〈往生を得ず〉とのたまへり。またこれ摂せざるにはあらざるなり。また下品下生のなかに五逆を取りて謗法を除くとは、それ五逆はすでに作れり、捨てて流転せしむべからず。還りて大悲を発(おこ)して摂取して往生せしむ。しかるに謗法の罪は、いまだ為(つく)らざれば、また止めて、〈もし謗法を起さば、すなはち生ずることを得じ〉とのたまふ。これは未造業について解するなり。もし造らば、還りて摂して生ずることを得しめん。かしこに生ずることを得といへども、華合(がっ)して(華の中に包みこまれて)多劫を経ん。これらの罪人、華のうちにある時三種の障あり。一つには仏およびもろもろの聖衆(しょうじゅ)を見ることを得じ、二つには正法を聴聞することを得じ、三つには歴事供養(りゃくじくよう、諸仏の国を廻り、仏・菩薩を供養すること)を得じ。これを除きて以外(いげ)は、さらにもろもろの苦なけん。経(『悲華経』や『涅槃経』)にいはく、〈なほ比丘の三禅の楽(色界第三禅天の快楽、三界でもっともすぐれているとされる)に入るがごときなり〉と、知るべし。華のなかにありて多劫開けずといふとも、阿鼻地獄のなかにして長時永劫(ようごう)にもろもろの苦痛を受けんに勝(すぐ)れざるべけんや。この義、抑止門につきて解しをはりぬ」と。以上


タグ:親鸞を読む
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