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『教行信証』精読2(その105) ブログトップ

本文7 [『教行信証』精読2(その105)]

(18)本文7

 『論註』からの引用の最後です。

 まさにまた例を引きて自力・他力の相を示すべし。ひと三途(火塗=地獄、血塗=畜生、刀塗=餓鬼のこと、三悪道と同じ)を畏るるがゆゑに禁戒を受持す。禁戒を受持するがゆゑによく禅定を修す。禅定を修するをもつてのゆゑに神通を修習す。神通をもつてのゆゑによく四天下(してんげ、須弥山の四方にある四つの大陸のこと)に遊ぶがごとし。かくのごときらを名づけて自力とす。また劣夫の驢(ろ)にまたがつて上らざれども、転輪王の行くに従へば、すなはち虚空に乗じて四天下に遊ぶに障礙するところなきがごとし。かくのごときらを名づけて他力とす。愚かなるかな後の学者、他力の乗ずべきを聞きてまさに信心を生ずべし。みづから局分(はからう)することなかれ。已上

 (現代語訳) また例を出して自力と他力のありようを示しましょう。ある人が三途に落ちるのを恐れて戒律をしっかり守るとしましょう。戒律を守りますからよく禅定を修めることができ、そして禅定をよく修めますと、神通力を身につけることができ、その力で世界のどこへでも自在に遊行することができるようになります。このようなことを自力と言います。次に、力の劣ったものは驢馬にまたがり天空を駆けることはできませんが、転輪王の御幸に随えば、たちまち天がけて世界中のどこへでも自在に行けるでしょう。このようなことを他力と言います。これから後に仏道を学ぶものよ、他力に乗ずる教えを聞いて、信心を起こすべきです。愚かにも、自力の教えにこだわるべきではありません。

 前に他力の例として阿修羅の琴が弾く人のいないのにおのずから妙なる音曲を奏でることが上げられていましたが(1)、ここで再び譬えを出して他力ということの理解をたすけようとしています。

タグ:親鸞を読む
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