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3月23日(水) [矛盾について(その233)]

 ある日太郎が次郎の「あなた」となるのは不思議な出あいと言うべきです。
 次郎は「あなた」としての太郎にばったり出あう。次郎は太郎といつも会っていることでしょう。ときには思いがけないところで出くわすこともあるでしょうが、それと「あなた」としての太郎と遇うのとは全く別のことです。「あなた」にはばったり遇うしかないのです。
 「会う」と「遇う」。
 「明日お会いしましょう」と言いますが、「明日お遇いしましょう」はおかしい。「会う」は「そうしよう」と思って誰かと会うのですが、「遇う」は「思いがけず」遇うのです。ですから「会う」相手は事前に分かっていますが、「遇う」のが誰かは全く分かりません。次郎が太郎に会いたいと思えば会うことができるでしょうが、次郎が「あなた」としての太郎に会いたいと思ってもそれはかないません。「あなた」には遇うしかありません。
 ここから何かが浮かび上がってきます。
 再び「いる」ことです。繰り返しを厭わずポイントをおさえておきましょう。デカルトが言うように、ぼくが「いる」ことほど確かなことはありませんが、でも「あなた」から「いる」ことを認めてもらってはじめて「いる」ことに安心できるのです。「いる」のは間違いなくても「いる」ことに安心できないというのは、「このまま生きていていいのか」という問いが突きつけられるということです。

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