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『歎異抄』を読む(その94) ブログトップ

8月18日(土) [『歎異抄』を読む(その94)]

 憎い犯人に「お前のようなヤツがのうのうと生きていることは耐えられない」と思うのは煩悩だということ。
 ここが肝心なところだと思います。「お前のようなヤツは生きている資格がない」と思うのは、ひどい仕打ちにあった人間として当然だけれども、しかしそれは煩悩なのだと自覚することが大事ではないでしょうか。それは正しいことではなく、煩悩だと思うこと。
 正しいことだと思いますと、死刑は当然と割り切ってしまいますが、それは煩悩だと思いますと、時間が経つにつれて次第に憎しみは薄れていくのではないでしょうか。そして死刑にすることへのこだわりも消えていくのではないかと思うのです。
 「罪悪も業報を感ずることあたはず」(どんな罪悪を犯しても往生の障りになることはない)ということばについて考えてきました。これはどんな大悪人もどんな善人も往生については平等だということですが、ぼくらはともすれば「あんなひどいヤツが」と線を引いてしまいます。
 大学入試で0点でも100点でも平等に入学できますと言われますと、そんな大学はろくな大学ではないと思ってしまいます。これがぼくらの煩悩です。ぼくらにはこういう煩悩が棲み付いているのです。「比べ虫」と名づけましょうか。相手と自分を引き比べて、どちらが上だ下だと喜んだり悲しんだりしているのです。
 誰にもこういう虫がいます。でも、それを自覚するかしないかで穏やかに生きられるかどうかが違ってくると思うのです。

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