SSブログ
はじめての『尊号真像銘文』(その133) ブログトップ

一向専修 [はじめての『尊号真像銘文』(その133)]

(10)一向専修

 これまで聖道門と浄土門の違いに光があてられてきましたが、ここにきてはじめて大師聖人(法然が大師号をおくられたのはずっと後のことで、ここでは偉大な師僧ということです)、源空聖人が登場します。わが日本において浄土門が花開いたのは源空聖人のおかげであると讃えられるのです。「釈尊の使者」であり「善導の再誕」であると称揚され、源空聖人によりようやく日本に一向専修の道が拓かれたと最大限に持ち上げられます。かくして「破戒無戒の人、罪業ふかきもの」も「無智無才のもの」もみな往生することができるようになったのだと。
 言うまでもないことながら、法然がはじめて日本に念仏の教えをもたらしたのではありません。すでに奈良時代から念仏の教えは説かれていましたし、平安の世になりますと延暦寺では円仁によって「山の念仏」がはじめられ(これは円仁が中国で法照の五会念仏を学び、それを延暦寺にもたらしたものです)、その伝統は脈々と受け継がれていきます。そして源信により浄土教の教科書とも言えるような『往生要集』も著されていました。法然や親鸞はそうした「山の念仏」の伝統の中から登場してくるのです。さらには賀古の教信や市の聖とよばれた空也など在野の念仏僧達のことも忘れることができません。
 では法然は何をしたのか。「一向専修とまふすこと」を始めたのです。
 法然まで念仏の教えは諸宗の軒下を借りる寓宗にすぎませんでした。日本仏教には南都六宗(三論、成実、法相、俱舎、律、華厳)に天台、真言を合わせて八宗しかありませんでした(禅宗を加えて九宗とすることもあります)。法然はそうしたなかに念仏宗を一個の独立した宗として立ち上げたのです。『選択集』はその独立宣言とみることができます。そのはじめに法然はみずからこう問います、「それ宗の名を立つることは、もと華厳・天台等の八宗・九宗にあり。いまだ浄土の家において、その宗の名を立つることを聞かず。しかるを今、浄土宗と号すること何の証拠かあるや」と。
 これまで誰も独立した一宗として浄土宗を名のったことはないが、わたしはここに浄土宗の独立を宣言する、というわけです。「一向専修」というのはそういうことです。

タグ:親鸞を読む
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問
はじめての『尊号真像銘文』(その133) ブログトップ