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あわれ、生きものは互いに食みあう [『ふりむけば他力』(その2)]

(2)あわれ、生きものは互いに食みあう

 とにかく生きものは己の子孫を繁栄させようとしのぎを削っており、そのために互いに食みあっているわけです。少年・釈迦が父の浄飯王(じょうぼんおう)に連れられて春の田起こしの祭りに行ったとき、起こされた土から這い出た虫をどこからかやってきた鳥がさっと啄み飛び去るのを見て、「あわれ、生きものは互いに食みあう」と呟いたという話が仏伝にのこされていますが、新型コロナウイルスも生きものとして己の遺伝子を増殖させるという当然の行動をしていると言わなければなりません(己をコピーする能力を持ったものを生きものと定義する限り、ウイルスも生きものの範疇に入れることができるでしょう)。これはしかしわれら人間からするととんでもない振る舞いであり、不倶戴天の敵であるという烙印が押されることになります。確かにわれらのいのちを奪うのですから憎い敵には違いありませんが、一方われらもまた、日々無数のいのちを奪って貪り食らっています。
 人間はいのちたちの頂点にあるのだから他のいのちたちをいくら食らってもいいが、他のいのちが人間のいのちを奪うなどということは許されないというのは高慢ここに極まれりというところではないでしょうか。大急ぎでつけ加えますが、ウイルスが拡散して、われらのいのちを奪っていくのは仕方がないなどと言っているのではありません。実際のところ、ぼくはできるだけ外出を控えるようにし、出るときはマスクをつけますし、帰ってきたらすぐ手洗いを励行しています。そして早くワクチン接種ができ、またいい治療薬が開発されることを心から願っています。そんなふうにウイルスの増殖を食い止めるための最大限の努力をしなければならないと思いつつ、しかし同時に思うのです、われら人間はこれまで何をしてきたのか、そしていま何をしているのか、と。
 「あわれ、生きものは互いに食みあう」と少年・釈迦がつぶやいたとき、「生きもの」のなかに釈迦自身が入っていたことは言うまでもありません。

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