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3月26日(土) [矛盾について(その236)]

 「そのまま生きていていい」と聞こえたら、「もうこのまま死んでもいい」と思える。このことに少し思いを潜めてみましょう。
 「このまま生きていていいのだろうか」とは「いる」ことの不安でした。足元を見やるとそこに踏みしめるべき大地はなく、下には無限の空虚が広がっています。「いる」ことには何の根拠もありません。そんなとき、「あなた」から「そのまま生きていていい」という確かな根拠が、しっかりした大地が与えられたのです。「やれ有難い、これからはこの大地の上で思う存分飛び跳ねよう」と思うのが自然でしょう。ところが「もういつ死んでもいい」と思う。これはどうしたことでしょう。
 「いる」ことの不安は、「いなくなる」ことの怖れと一体です。
 いまはさほどではなくなりましたが、若い頃は「この世からいなくなる」ことが耐え難い恐怖でした。ぼくが哲学などという道を選んだとき、そんなにはっきり意識していたわけではありませんが、根っ子にはこれがあったと思います。「いずれいなくなる」ことの怖さを前にすれば、他のことなんかどうでもいいじゃないか。「いずれいなくなるのに、なぜいまいるのか?」- これに答えを出すことなく、他のどんなことを考える価値があるのか、と。
 「いなくなる」ことの怖れと「いる」ことの不安は一卵性双生児です。「いまいる」のが不安なのは、「いずれいなくなる」のが怖いからであり、「いずれいなくなる」のが怖いのは、「いまいる」のが不安だからではないでしょうか。前半はいいでしょう。「いずれいなくなる」ことはすべてを色あせさせてしまい、「いまいる」ことに大きなクエスチョンマークをつけます。かくして「いずれいなくなるのに、なぜいまいるのか?」という根本的な問いが立ち上がるのです。
 しかし後半ー「いずれいなくなる」のが怖いのは、「いまいる」のが不安だからーは説明が必要です。

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