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「これから」と「もうすでに」 [『ふりむけば他力』(その15)]

(10)「これから」と「もうすでに」

 次に「むこうから」つかみ取られるのは、「もうすでに」であるということを見ておきましょう。
 「こちらから」何かをつかみ取るときは、さあ「これから」つかみ取ろうと思ってつかみ取りますが、「むこうから」つかみ取られるときは、あるとき思いもかけずもうつかみ取られています。気づいたときには「もうすでに」つかみ取られているのです。「門に入る」ということを考えてみましょう。普通、門は自分の前にあり、「さあこれから門を入ろう」と思うものですが、不思議な門があり、それは入ろうなどと思ってもいないのに、気づいたときには「もうすでに」入ってしまっているのです。入ってしまってから、入ったことにはじめて気づくのです。ですから門は後ろにあります。ふりむけば門があった、これが他力です。
 さて親鸞は自力の「これから」と他力の「もうすでに」のコントラストを「たたさま」と「よこさま」という印象的なことばで言い表します。
 「たたさま」と「よこさま」ということばの元は『無量寿経』にあります。その下巻に往生浄土を勧めてこのように説かれます、「かならず超絶して去(す)つることを得て安養国に往生して、横に五悪趣(地獄・餓鬼・畜生・人・天)を截(き)り、悪趣自然に閉ず」と。幸い親鸞自身がこの文を次のように解説してくれます、「横はよこさまといふ、よこさまといふは如来の願力を信ずるがゆゑに行者のはからひにあらず、五悪趣を自然にたちすて四生(胎生・卵生・湿生・化生という四種類の生まれ方)をはなるるを横といふ、他力と申すなり。これを横超といふなり。横は竪(しゅ)に対することばなり。超は迂(う)に対することばなり。竪はたたさま、迂はめぐるとなり。竪と迂とは自力聖道のこころなり。横超はすなはち他力真宗の本意なり」と(『尊号真像銘文』)。
 また「横超」についてこうも言います、「横はよこさまといふ、超はこえてといふ。よろづの法にすぐれて、すみやかに疾く生死海をこえて仏果にいたるがゆゑに超と申すなり。これすなはち大悲誓願力なるがゆゑなり」と(『唯信鈔文意』)。これらの解説により、「たたさま」は自力、「よこさま」は他力をあらわしており、そして「たたさま(竪)」は「めぐる(迂)」こと、「よこさま(横)」は「すみやかに疾くこえる(超)」ことと関連しているのが分かります。

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