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「してはならない」が意味をもつのは、生きることに意味があるから [生きる意味(その75)]

(6)「してはならない」が意味をもつのは、生きることに意味があるから
 どうやら胸突き八丁にさしかかったようです。これまで述べてきたことが正しいとしますと、「生きる意味はあるのか?」という問い自体がナンセンスになってしまいます。
 そこで、しつこいようですが、もう一度「なんで先生の指図に従わなければいけないの?」と言っている生徒に登場してもらいましょう。それを言っちゃあオシマイなのですが、それは、その問いが「これからも学校を続けることに意味はあるのか?」を含意しているからでした。
 このまま学校を続けることに嫌気が差してきた。学校にきたってしょうがないと思えてきた。そうなると学校のすべての規則、先生のすべての指図が無意味になってきます。こうして「なんで?」に至る訳です。
 としますと、「生徒は先生の指図に従わなければならない」をはじめとする学校のすべての「しなければならない」、「してはならない」は、「これからも学校を続けることに意味がある」に支えられているということになります。
 その証拠に、退学を決意した生徒はもう何のためらいもなく校則を破ります。堂々とタバコをふかしながら退学届を持ってくる生徒もいます。「学校を続けることに意味がある」、これがやはり生徒としての大前提のようです。
 同様に「これからも生き続けることに意味がある」からこそ、「人を殺してはならない」をはじめとするすべての「しなければならない」、「してはならない」が意味を持ってくるのではないでしょうか。

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