SSブログ
親鸞の和讃に親しむ(その82) ブログトップ

釈迦如来かくれましまして [親鸞の和讃に親しむ(その82)]

(2)釈迦如来かくれましまして(これより三時讃)

釈迦如来かくれましまして 二千余年になりたまふ 正像の二時はをはりにき 如来の遺弟(ゆいてい)悲泣せよ(第2首)

釈迦おかくれになりてより、二千余年のときがすぎ、正像二時はおわりたり。釈迦の遺弟悲泣せよ

末法五濁の有情の 行証かなはぬときなれば 釈迦の遺法(ゆいほう)ことごとく 竜宮にいりたまひにき(第3首)

末法五濁の世となりて、行証ともになくなれば、釈迦の教えはことごとく、竜宮のなかにかくれたり

これから58首の「正像末浄土和讃(略して三時讃)」がはじまります(これは『正像末和讃』全体の半分に当たります)。道綽が『安楽集』において「当今は末法にして、現にこれ五濁悪世なり。ただ浄土の一門のみありて、通入すべき路なり」と述べて以来、正像末の歴史観(末法思想)は浄土思想と結びつき、それが善導に継承されて浄土教の歴史のなかで重要な役割を果たすようになります。親鸞もこれを重く見て、ここで「三時讃」を数多く詠うとともに、『教行信証』「化身土巻」において正像末の歴史観についてかなりのスペースを割いて論じています。そこであらためてこの歴史観とは何か、そしてそれが浄土の教えにとってどういう意味をもつかを考えておきたいと思います。

この二つの和讃から明らかなように、正像末史観とは釈迦入滅から時間が経つにつれて仏法は衰退していくという見方です。はじめは釈迦の教えとそれにもとづく行とその証がそろっていますが(正法、1000年あるいは500年)、次いで教と行はあっても証がなくなり(像法、1000年)、さらには行も証もなくなるというのです(末法、1万年)。われら現代人の多くは時代とともに世のなかは進歩していくものだという見方をしていますから、時が経つほど世のなかが悪くなるという歴史観はなかなかピンとこないところがあります。五濁ということばも出てきますが、これなどは時代とともに飢饉や疫病、戦争など時代の悪が増え(劫濁)、邪悪な考え方がはびこり(見濁)、煩悩がますます盛んになり(煩悩濁)、衆生の資質が次第に衰え(衆生濁)、寿命がだんだん短くなる(命濁)というのです。

この歴史観の本質がどこにあるかといいますと、それは道綽の「当今は末法にして、現にこれ五濁悪世なり」ということばによく顕れています。正像末史観は「当今」に焦点を合わせて、じっと「いま」を見つめているということです。

ちょっと横道にそれますが、そもそも時間にはどこにも「いま」はありません。「いま」は西暦で2022年ではないか、と言われるかもしれませんが、それはそう言っている人(そしてそれを聞いている人)が2022年に生きているということでしかありません。つまり時間の中のどこでも「いま」になることができるということです。これは「わたし」も同じで、誰でも「わたし」になることができます。誰かが「わたしは云々」と言えば、その人が「わたし」です。そして誰かが「いまは云々」と言えば、それが「いま」になるのです。ここからぼんやりと見えてくるのは、「いま」と「わたし」は切り離しがたく結びついているということです。

「当今は末法にして」と言うときの「当今」とは道綽の生きていた時代であり、道綽という「わたし」が「いま」は末法の世であると言っているのです。道綽とは別の「わたし」にとって、「いま」は五濁悪世でも何でもないかもしれません。すなわち正像末史観とは歴史の客観的な評価ではなく、道綽の主体的な「いま」の自覚(気づき)であるということです。そしてさらに大事なことは、「いま」の自覚は「わたし」についての自覚に他ならないということです。「当今は末法にして」という自覚は「わたしは罪悪深重、煩悩熾盛にして」という自覚であるということ、この点は道綽に学んだ善導において明確なかたちをとってきます。「決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねに没しつねに流転して出離の縁あることなしと信ず」(『観経疏』深心釈)というのが「わたし」(機)についての自覚です。

この機の深信があってこそ、「決定して深く、阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑なく慮りなく、かの願力に乗じて、定めて往生を得と信ず」という法の深信がひらかれてくるのです。


タグ:親鸞を読む
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問
親鸞の和讃に親しむ(その82) ブログトップ