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偈文9 [正信偈と現代(その74)]

              第9回 七高僧

(1)偈文9

 印度西天之論家(いんどさいてんしろんげ)    印度西天の論家、
 中夏日域之高僧(ちゅうかじちいきしこうそう)  中夏・日域の高僧、
 顕大聖興世正意(けんだいしょうこうせしょうい) 大聖興世の正意を顕わし、
 明如来本誓応機(みょうにょらいほんぜいおうき) 如来の本誓、機に応ぜることを明かす。

 (現代語訳) インドの論家たち、そして中国・日本の高僧たちは、釈迦如来がこの世に現われてくださったほんとうの意味を顕かにし、弥陀如来の本願はわれら凡夫のためにあることを明らかにしてくださったのです。

 これから後半の依釈段(えしゃくだん)がはじまります。弥陀・釈迦二尊を讃える依経段(えきょうだん)に対して、高僧たちを讃える部分です。高僧たちといいますのは、インドの龍樹・天親、中国の曇鸞・道綽・善導、そして日本の源信・法然の七人で、親鸞はこの人たちこそ、「大聖興世の正意を顕わし」た、つまり釈迦の教えの根幹を受け継いだと見たのです。釈迦の教えの根幹とは本願名号の教えであることは言うまでもありません。
 先に(偈文5)「如来所為興出世(にょらいしょいこうしゅっせ)、唯説弥陀本願海(ゆいせつみだほんがんかい)」(如来、世に興出したもうゆえは、ただ弥陀の本願海を説かんとなり)とありました。釈迦がこの世に現れたのは、ただ弥陀の本願を説くためだと言うのでした。そしてここでは七高僧たちがそのことを証言して、弥陀の本願こそわれらを救う教えであることを明らかにしてくれたと言っているのです。釈迦は何か新しい教えを説いたのではなく、弥陀の本願を説いただけであり、七高僧たちはそれを受け継いでわれらに届けてくれたのであると。

タグ:親鸞を読む
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