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『教行信証』精読(その70) ブログトップ

本文5 [『教行信証』精読(その70)]

(12)本文5

 経典からの引用の最後として『悲華経』から引かれます。

 『悲華経』の「大施品(実際は大施品ではなく諸菩薩本授記品。親鸞の勘違いか)」の二巻にのたまはく、曇無讖三蔵(どんむしんさんぞう、インド出身の訳経僧。五胡十六国時代の人)の訳 「願はくは、われ阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい、無上正徧知と訳し、仏のこの上ない悟りのこと)を成りをはらんに、無量無辺阿僧祇(あそうぎ、無央数と訳し、数限りないこと)の余仏の世界の所有(しょう)の衆生、わが名を聞かんもの、もろもろの善本を修してわが界に生ぜんと欲(おも)はん。願はくは、それ命を捨てての後、必定して生を得しめん。ただし五逆と聖人を誹謗せんと、正法を廃壊せんとをば除かん」と。以上

 (現代語訳) 『悲華経』の大施品の第二巻にこうあります(この経は曇無讖三蔵の訳です)、「わたしが仏の悟りをひらくときには、数限りない諸仏の世界の衆生が、わが名を聞いて、もろもろの功徳を積み、わが浄土に生まれたいとおもえば、そのものたちがいのち終わった後に、かならずわが国に生まれるようにしたい。ただし五逆罪のものと、仏・菩薩などの聖人を誹謗するものと、正法を破るものは除く」と。

 これまで引用されたのは『大経』およびその異訳からで、『悲華経』は浄土経典としては傍流に属しますが、そこには法蔵菩薩のたてた四十八願が成就して阿弥陀仏となるという話とほぼ同じ構図がでてきます。『大経』では法蔵菩薩が世自在王仏に誓願をたてるとなっていますが、それが『悲華経』では、無諍念王という転輪聖王が、その臣下であった宝海梵志の子である宝蔵如来のもとに出家して誓願をたてるという筋立てになっています(法蔵菩薩=無諍念王、世自在王仏=宝蔵如来)。その願のひとつがここに引用されているのです。

タグ:親鸞を読む
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