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親鸞の和讃に親しむ(その116) ブログトップ

弓削の守屋の大連 [親鸞の和讃に親しむ(その116)]

(6)弓削の守屋の大連(善光寺讃)

弓削(ゆげ)の守屋の大連(おおむらじ) 邪見きはまりなきゆゑに よろづのものをすすめんと やすくほとけとまうしけり(第114首)

弓削の守屋の大連 ものの道理をわきまえず 世のひとびとをまどわして やすくほとけと名をつける

注 弓削は大阪府八尾市、守屋は物部守屋、大連は大臣と並んで朝廷の最高官位。

悲歎述懐讃のあと、善光寺讃と名づけられる和讃が5首ありまして、この和讃はその最後です。

この和讃には説明が必要です。物部守屋は日本に仏教が入ってくるのを阻止しようとした排仏派の中心で、当時、疫病が流行したのですが、こんなことが起るのは蘇我馬子ら崇仏派が仏教を受け入れたからだとして、敏達天皇の許しを得て、馬子が仏像を安置している寺を焼き、仏像を破壊します。このような激しい崇仏・排仏の対立のなかで、守屋たちが熱病を意味する「ほとほりけ」(「ほとほり」は熱の意、「ほとぼりが冷める」などと言います)から仏像を「ほとけ」と言うようになったという民間伝承をもととしてこの和讃はつくられています(実際は「仏」の古い中国語音を日本語風に写して「ほと」となり、それに「け」がついて「ほとけ」と言われるようになりました-『岩波古語辞典』)。このような経緯をみても、仏教はその伝来のはじめから呪術と深くつながっていたことが了解できます。

そもそも崇仏・排仏の対立は、外国の神(蕃神)としての仏を迎え入れるか排斥するかの争いであり、その蕃神は病気平癒にご利益がある神か、それとも熱病をもたらす厄病神であるかを巡って激しく対立したわけです。

「まじないの宗教」として受け入れられた仏教が、実は「目覚めの宗教」であることが明らかになるにはやはりかなりの時間が必要でした。聖徳太子をはじめとする先覚者たちの努力の上に、仏教は「目覚めの宗教」であることをこの上なくはっきり教えてくれたのが親鸞であることは間違いありません。彼にとっての仏教とは、もうすでに本願力に生かされていることに「目覚め」、同時におのれは我執の虜になっている凡夫であることに「目覚め」ることです。彼はこの二重の「目覚め」がわれらの救いであり、これ以外に救いはないことを明らかにしてくれました。われらは我執の虜であるがままで、もうすでに本願力により救われているということ、これに気づくこと以外に仏教はないことを教えてくれたのです。


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