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矛盾について(その455) ブログトップ

11月1日(火) [矛盾について(その455)]

 「なんでよりによってうちの子が…」という呟きにもう少し耳を傾けてみますと、「どんな悪いことをしたっていうのか。これまで身を粉にして働いてきたし、あの子だってひとさまに後ろ指を差されるような子ではない。なのに、どうしてあの子が」と恨み辛みがとどまることなく湧き出してきます。
 わが子の病そのものよりも、この「どうしてうちの子が」という思いに苦しみの源があるようです。これはごく自然なこころの動きで、誰かよその人がそれを知ったとしても、同情こそすれ、非難がましいことを言うことはないでしょう。
 しかしふと、「では、隣の子ならいいのか」という思いがこころをかすめることがあります。もちろん隣の子ならよくて、うちの子だからいけないなんてことはありません、どの子であってもいけないのです。にもかかわらず「なんでうちの子が」と思ってしまう。このあたりから「人生そのものの問題」が始まっています。
 「隣の子ならいいのか」などと思わなければ、ただひたすら「なんでうちの子が」という恨みにどっぷり浸かったままです。それは何か気に食わないことをされて腹をたてるとき(例えば、食べもの屋で後から来た客に先に料理が出されてムカつくとき)、ただひたすら「なんでだよ」と怒りつづけるのと同じです。これに怒らずして何に怒るのかと怒り続けるように、「なんでうちの子が」と恨み続ける。
 「隣の子ならいいのか」、この問いが局面を一気に変えるのです、「人生における問題」から「人生そのものの問題」へと。

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