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世に五人あり、地獄をまぬかれず [「信巻を読む(2)」その89]

(7)世に五人あり、地獄をまぬかれず

これから六人の大臣が次々とやって来て悩める阿闍世王を慰め、それぞれが六人の思想家を紹介します。それは六師外道とよばれる自由思想家たちで、釈迦の頃、マガダ国を中心に活躍していました。当時のインド・ガンジス中流域は歴史の大きな曲がり角にあり、商工業の発達とともに都市経済が進展し、農村を地盤とするバラモン教の思想・文化に対する疑問や批判が噴出してきたのです。それを代表するのが六師外道で、それぞれの立場からバラモン教の道徳規範を攻撃していました。その一人がここに出てくるプーラナ・カッチャーヤナで、徹底した道徳否定説を取り、善悪の業報(善因には善果、悪因には悪果)も否定します。

さて阿闍世は大臣・月称から「何を悩まれているのですか」と問われ、「地獄をまぬかれず」と答えます。それに月称は「誰か地獄を見た人がいるのですか」と応じ、プーラナを紹介するのですが、ここで考えておきたいのは「悪いことをすれば地獄に堕ちる」という業報の感覚です。輪廻転生の思想をどう捉えるべきかという大問題についてはいまはおき、阿闍世が「あんなことをすれば地獄行きに決まっている」と怖れていることを考えたいと思います。先ほど、阿闍世の後悔は行為の結果の後悔ではなく、行為それ自体の後悔だと言いましたが、ここにきて地獄行きという結果を後悔しているのではないかという疑問が浮上します。

彼は「あんなことをしたから、地獄に行くはめに陥った」ことを後悔しているのでしょうか。そうではないと答えましょう。地獄に行くことを怖れているのではなく、地獄に行かなければならないほどのことをしてしまったことを悔いているのです。決して悪い結果になったことを悔いているのではなく、あくまでしてしまったこと自体を悔いていると言わなければなりません。だからこそ、月称からプーラナのところへ行くことを勧められても、さほど心を動かされたようには見えないのです。


タグ:親鸞を読む
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