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矛盾について(その38) ブログトップ

9月3日(金) [矛盾について(その38)]

 パレスティナ問題の解決の道はそこにしかないでしょう。
 自分の身内がイスラエル軍に殺されたり、酷い目に合わされたりした記憶をもつパレスティナ人がイスラエル憎しの感情を持ち続けるのは如何ともしがたいところがあります。そうした記憶をもつアラブ人がいなくなるまで民族的な憎しみは消えることがないでしょう。アジアの人々の日本憎しの感情も、日本軍によってこうむった被害の記憶が生き続ける限り、なくなることはないでしょう。
 しかし例えば東シナ海のガス田問題で日本に対して激しい怒りを感じる中国人が、日本へのこだわりの根っ子に、自分のお爺ちゃんが日本軍に殺されたこと、そこから日本人に対してどうしようもなく憎しみを感じてしまうことがあると自覚することで、心のこわばりが少しでも和らぐのではないかと思うのです。
 「感じる」ことは自分ではどうすることもできないから、それについて話し合っても仕方がないのではないかという疑問について考えてきました。確かに、何度も言いますように、「ぼくはこう感じるのに、きみはどうしてそう感じるのか」と問いただしても無駄でしょう。でも、「ぼくはこう感じるが、きみはそう感じる、こんなにも感じ方が違うのだ」と互いに自覚することは非常に大事なことです。その違いがさまざまな意見の衝突の背後にあることに気づくからです。それに気づくことで対立がなくなるわけではありませんが、それによって対立を解決する道筋が出てくるかもしれないのです。
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