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5月9日(水) [矛盾について(その644)]

 昨日は事情があり更新できませんでした。
 知ろうとしてはじめて「知る」ことができますが、「気づく」のは「思いがけず」です。あるとき、ふと(不図、はからずもということです)気づく。
 さて「生まれてきてよかった」ですが、これは「知る」ことでしょうか、それとも「気づく」ことでしょうか。やはり「気づく」ことです。あるとき、ふと「生まれてきてよかった」と気づくのです。
 としますと、自分で自分に「生まれてきてよかった」とどれほど力説しても何にもならないでしょう。思いがけず気づかせてもらうしかありません。どこかから「生まれてきてよかったね」という不思議な声が聞こえて、それがこころに沁みるのです。
 ふたつ目の疑問です。
 著者は「生まれてきてよかった」という「誕生肯定」を「これから(いつの日か)」手に入れるものとして捉えているようですが、それは「いま、ここ」で感じなければ意味がないのではないでしょうか。
 「生まれてきてよかった」ことは「気づく」ことであり、「気づく」のは現在完了形であることを思い起こしましょう。「これから」手に入れることはありますが、「これから」気づくということはないのです。気づいたときには、もう気づいてしまっているのです。
 としますと、「生まれてきてよかった」は「いま、ここで」気づくしかありません。あした気づこうとするのは無理と言わなければなりません。

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