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11月27日(土) [矛盾について(その121)]

 悲しみがあるまさにそのときに喜びがあるとはどういうことか。
 悲しみと喜びが同時に押し寄せてくることはあります。一方では愛する人を亡くすという悲しみがあり、しかし時を同じくして新しいいのちが誕生するという喜びがある。これはしかし悲しみと喜びはそれぞれ別もので、それがたまたま時を同じくしただけのことです。いま言っているのは「救われない」という悲しみと「救われている」という喜びが背中合わせに一つになっているということで、これはたまたまのことではありません。
 「救われない」という悲しみがあるからこそ「救われている」という喜びがあり、その逆でもあるということです。これはやはり尋常のことではありません。そんなことがどうしてありうるのか、別の角度から考えてみたいと思います。
 「悪」の問題です。
 前章で煩悩は「見る」ものではなく「感じる」ものだと言いました。煩悩はどこかにあるものではなく、「あ、これは煩悩だ」と感じてはじめて姿を現すということです。大事な論点ですので、繰り返しになりますがもう一度確認しておきましょう。
 混んだホームで電車を待っているとき、横から割り込みされると無性に腹が立ちます。割り込みに対して怒りを感じるのは当たり前で、何とも思わない方がどうかしているとも言えますが、それにしてもどうしてこんなにも腹立たしいのでしょう。
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