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1月9日(日) [矛盾について(その164)]

 日本では年間3万人以上の人が自らいのちを絶っていますが、その人たちはもうこの世にいたくないと思い、自分の意思でこの世にいるのをやめたのでしょうか。
 「自分の部屋にいる」と「この世にいる」は一見同じ顔つきをしていますが、その間には大きな断絶があるような気がします。前者は、これまで見てきましたように、自分の意思でそこに「身を置く」ということで、「いる」とは言うものの実は「する」ことのひとつです。しかし後者はそのような「いる」ではありません。「この世に」は「どこかに」のひとつではないということです。「自分の部屋に」や「愛知県に」などと並んで「この世に」があるのではなく、あらゆる「どこかに」を包み込み、それを支えているのが「この世に」です。ぼくが自分の部屋にいることができるのは、この世にいるからです。
 どうやら「いる」には二つあるようです。どこかに「いる」のと、この世に「いる」のと。前者は「する」のひとつとしての「いる」で、後者はそうした「いる」も含めたすべての「する」を可能とする「いる」です。
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