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9月24日(金) [矛盾について(その58)]

 腸内細菌をやっつけてしまいますと、腸の活動が大きく阻害されますように、煩悩の虫どもを退治してしまいますと、生きることそのものが阻害されるのです。
 煩悩とは「オレが、オレが」にとらわれることでした。それがさまざまな憂いや悩みをもたらしているのですから、それをやっつけてしまいたいと思うのも無理はありません。でも、それをやっつけてしまうということは、生きる力そのものをやっつけることなのです。ぼくらが生きているのは「生きんかな」と思うからです。「生きんかな」という思いが生きることの大前提です。
 「生きんかな」と思っても、生きられないことはあります。悲しいことですが、病気や事故や犯罪や戦争で「生きんかな」の思いが断ち切られることはあります。でも肝心の「生きんかな」の思いがなくなりますと、周りがどんなに騒いでも、もう生き続けることはできません。
 ぼくは長年高校生たちを教えてきましたが、繰り返し痛感しましたのは「勉強しよう」という気のない生徒に教えることはできないということです。高校というところには、ときどき「勉強しよう」という気などさらさらない生徒がやってきます。「どうして高校に来たの」と訊きますと、「親がうるさいもんで」と答えます。
 「勉強したいのだけど、どうすればいいか分からなくて」という生徒にはいくらでも対処できますが、「勉強など金輪際したくない」という生徒ばかりは何ともなりません。「まあだまされたと思って聞いてごらんよ、勉強って意外におもしろいことが分かるから」となだめすかしても、「オレはこっちの方がおもしろい」とゲームに夢中です。
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