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12月22日(水) [矛盾について(その146)]

 宿業の思想にはどんな意味があるのでしょう。
 先回引いたことばの少し後にこうあります、「わがこゝろのよくてころさぬにはあらず。また害せじとおほふとも、百人千人をころすこともあるべし」と。ぼくらはともすると、善いことをするのはこころが善いからであり、悪いことをするのはこころが悪いからだと思います。しかし、そうじゃないと宿業の思想は教えてくれるのです。善いことをするのも悪いことをするのも宿業のなせる業で、こころが善いからでも悪いからでもないのだと。
 もっと言えば、こころの善い人など誰一人いないということです。「みんな悪人」なのです。みんな悪人だから、ついつい悪に手を染めてしまうのだけど、宿縁のもよおしがあれば善をすることもあるのです。だから善をしたからといって「オレは善人だ」などと思うことなかれと教えてくれているのです。
 では人はどんなときに悪をなし、どんなときに善をなすのか。
 煩悩の虫どもが活発に動き回るときに悪をなし、じっと大人しくしているときには善をなすこともあるのです。こんなふうにぼくらが善をなすか悪をなすかは煩悩の虫どもに左右されているとしますと、「悪をしないようにしよう、善をするようにしよう」と思っても、何ともならないように思えます。
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