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正信偈と現代(その18) ブログトップ

フィクション [正信偈と現代(その18)]

(7)フィクション

 戦火のなかで周りの人たちが殺されていく惨い現実と、頭の中に創作された平和な世界。普通は前者が真実で後者は虚偽(嘘)とされますが、むしろフィクションの世界にこそ真実があると言えるのではないでしょうか。現実を否定して、創作されたストーリーを現実だと言いくるめるのは悪質な嘘です。でも、現実は現実として受け入れた上で、頭の中に平和な世界を創作することは嘘ではありません、むしろそこにこそ真実があるのではないか。キング牧師のことばがよみがえります。
 I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.(私には夢がある。いつの日かジョージアの赤土の丘の上で、かつての奴隷の子孫たちとかつての奴隷所有者の子孫が同胞として同じテーブルにつくことができるという夢です。)
 これはキング牧師の頭に創作されたフィクションです。でもこのフィクションにこそ真実があるのではないでしょうか。フィクションの形でしか表せない真実があるということです。キング牧師は夢と言います。それを願いと言ってもいいでしょう。キング牧師に上の願いがあるように、ぼくらにもある秘められた願いがあります。その人その人の個人的な願いではありません、みんなに共通する願いです。それはこれまで敵対してきた人たちみんなが“sit down together at the table of brotherhood”ということ、みんなが手を取り合って平和に生きていくことです。
 考えてみますと、仏教でいう「涅槃(ニルヴァーナ)」は、平たく言いかえますと「平和」ではないでしょうか。みんなが(人間だけではありません、生きとし生けるものみんなが)手を取り合って平和に生きていくこと、これが涅槃です。これは現実の世界ではありえませんから(ぼくらは毎日生きものを殺して食べています)、フィクションとして語るしかないのです。

タグ:親鸞を読む
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