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9月2日(金) [矛盾について(その395)]

 「すみません」という言葉を聞いて、ぼくの頭にパッと浮かぶのはあの林家三平という、もうだいぶ昔の噺家です。こういうことを若い人に言っても全くピンときてもらえなくてがっかりするんですが、「どうもすいません」という、あの仕草が何とも言えず笑いを誘うと言いますか、もう噺より何よりあれがおもしろい。
 そんなおかしな人がおりましたが、この「すみません」というのは、考えれば考えるほど、しみじみしたことばだと思うのです。「すみません」というのは、言うまでもなく「済まない」ということ。だけど「すみません」というのは、もう済んじゃってから言うことばですね。例えば、思わずカッときて、腹が立って、言っちゃいけないことを相手に言ってしまう。女房に「ああ、こんなこと、言わなきゃよかった」と思うことを、つい言ってしまう。言ってしまってから、しまった、言わなきゃよかった、と思うときに、心の中で「すみません」ということばをつぶやいているんだろうと思う。
 もう言っちゃった、済んじゃった、済んじゃったのに「済まない」という言葉を使うわけですが、で、その一番底に潜んでいるものを考えるために、ちょっと金子大栄さんのことばを引きますと、「煩悩は凡夫の道徳だ」という言葉があります。これはハッとさせられることばで、彼はときどきハッとするようなことを言われる。で、どういう意味かと言いますと、煩悩というのは、道徳と言うよりむしろ悪いことですよね、悪徳ですね。善じゃなくて悪、というのが普通の考え方なんだけども、彼は、いやそうじゃないんだ、煩悩というのはぼくら凡夫、ただびと、普通の人間にとっての道徳なんだと彼は言われる。そこにハッとさせられるのです。

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