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矛盾について(その43) ブログトップ

9月8日(水) [矛盾について(その43)]

 もはや我執から抜け出すすべはないと気づいたそのときです、「そのままでいい」という声が聞こえるのは。親鸞のことばで言いますと、「地獄は一定すみかぞかし」と思うそのとき、「南無阿弥陀仏」の声が聞こえる。「南無阿弥陀仏」とは、「来たれ、救う」という阿弥陀仏の呼び声です。
 これをぼく流に言い換えますと、「このまま生きていていいのか」という鉛のような問いに押しつぶされそうになるそのとき、すぐ隣にいる「あなた」から「そのまま生きていていい」という声が聞こえて、腹の底から突き上げてくるような喜びをもたらしてくれるのです。居心地の悪さがなくなるわけではありません、我執はそっくりそのままです。しかしそれにとらわれなくなるのです。
 これが「煩悩即菩提」です。
 煩悩の世界は我執がもたらす居心地の悪さにのたうちまわる世界です。それに対して、菩提の世界はそこから解脱した静かで歓びにあふれる世界です。この二つは真反対の世界です。ですから煩悩の世界がそのまま菩提の世界であるはずがありません。そんなふうに言うのは矛盾というものです。にもかかわらずこのことばは真に迫ってきます。他のどんなことばより深く真実をうがっていると感じる。矛盾そのものなのに、胸に迫ってくる、これは一体どういうことか。
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